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鹿児島県の旅行記【歴史・文化・芸術】

鹿児島県の旅行記
鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(31)霧島の夕暮れ。
鹿児島県の地域
鹿児島
鹿児島県への旅行者
ちゃお
鹿児島県の旅行時期
2016/12/16~" . 2016/12/18
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

薩摩・大隅の旅(31)霧島の夕暮れ。

記憶などたわいないもので、10数年前、この神宮へ初めて来た時に受けた感動は今は大分薄れ、それは二度目の訪問だからやむを得ないものと諦めも付いたが、しかし、それにしても社殿以外のその他の詳細についても殆ど記憶の中にない。先刻来た時の夕日に染まった長い参道なども、果たして以前この様な山道を歩いたのか、という程度のおぼろげなものだ。境内の大楠をしげしげ眺めるが、殆ど記憶に残っていなかった。記憶を焼き付けると言っても、当てにならないものだが、それでも、大鳥居から最後にもう一度社殿に参拝し、宮を後にした。 車寄せの辺りには天孫降臨の石碑があったり、徳富蘇峰の跋文などもあったが、以前には全く気が付かなかった。この周辺は霧島温泉郷と言って、温泉で有名な場所だが、駐車場の手前には源泉の湧き出る池などもあったが、この15年の間に増築されたのか・・。或いは源泉が噴き出て、急造で池でも造ったのか・・。ここ数年円安で外人観光客も増えているので、そうした外人客には好評だろう。 大鳥居の前方には高台の上に造られた展望台がある。この時間でもまだ猶数人の参拝者、観光客がテラスの上から景色を眺め、写真を撮って談笑している。夕暮れの最期の余韻を楽しんでいるようだ。高台からの眺めは抜群だ。薩摩平野がずっと先の海に向かってなだらかに落ちていく。夕暮れに沈む平野。明かりの塊は町か集落か。その先ひときわ赤く燃えている山がある。桜島だ。薩摩の人々の心の山。朝も昼も夕方も。火を噴いていれば、夜まで赤く見えていた。裸の王様、山下清がこの町へやって来た時、桜島は火を上げていた。彼の好きな花火と火山。彼もこの宮の高台の展望台から花火のような噴火を眺め、徒士足踏んで喜んだに違いない。
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鹿児島県の旅行記 霧島神宮社殿前の大楠を眺めるが、記憶に全く残っていな...
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鹿児島県の旅行記 最後にもう一度参拝し、宮を離れる。
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鹿児島県の旅行記 今度来るとき、三度目にはしっかり記憶に刻まれているだ...
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鹿児島県の旅行記 鳥居の横の天孫降臨の碑。
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鹿児島県の旅行記 徳富蘇峰が跋文など書いている。
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鹿児島県の旅行記 招霊木、何の木だろう・・
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鹿児島県の旅行記 各神社では磐座などを見かけるが、ここの憑代は木になっ...
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鹿児島県の旅行記 駐車場の手前には源泉の池などもある。・・以前はこんな...
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鹿児島県の旅行記 展望台から薩摩平野を眺める。
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鹿児島県の旅行記 夕暮れに沈んでいくなだらかな平原。
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鹿児島県の旅行記 桜島がくっきりと浮かんでいる。
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鹿児島県の旅行記 朝ホテルの8階から眺め、フェリーで目前を通り、今また...
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鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(30)霧島神宮ご参拝。
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鹿児島
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ちゃお
鹿児島県の旅行時期
2016/12/16~" . 2016/12/18
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

薩摩・大隅の旅(30)霧島神宮ご参拝。

今手元に別冊歴史読本の「日本神社名鑑」がある。これは主に全国の一宮を網羅していているが、全国神宮は必ずしも各地の一宮と一致している訳ではない。むしろ神宮は一宮からは除外されていて、香取、鹿島他五宮に過ぎない。全国に20以上ある神宮の大半は別格の扱いだ。地霊神を祀る一宮以上の存在になっている。九州は神話の故郷だけあって、神宮は六ケ所もある。 当方、全国の主だった神宮、大神宮、大社、一宮は参詣していて、九州の神宮も鹿児島神宮以外はすべて参詣している。ここ霧島神宮は今度で2回目になる。最初に参詣した時は、先にも触れた都城の今村宅に泊まった翌日、高千穂峰に登頂したが、その下山後に参拝した。宮は高千穂峰の直ぐ横手にあり、この峰がご神体になっている。今100名山登頂記録を確認してみると、それは2001年5月3日のことだった。今から15年も前のことである。 高千穂の峰は正式な山名は霧島山で標高は1700m、当時は足も元気で、2時間も掛からず登頂できたが、その時の俳句が、 <茜さす 高千穂の峰 拝みけり> これは今日と同じ夕方近くで、樹木1本生えていない赤茶けた富士山型の山に丁度西日が差して、神々しいほどに赤く燃えていたが、思わず両手を合わせ、自然の造形の美しさに首を垂れたのだった。そこから直ぐに鹿島神宮に参拝したが、初めて見る神宮は如何にも異様な感じの南国調の造りで、こうした造りの神社には今までにお目にかかったことはなかった。 神社仏閣に造詣の深い服部先生にすぐさま電話し、今霧島にいることを伝えた。この時まで自分も各地のかなりの数の寺社を回ってきたが、この宮の造りは他とはかなり違っていて、その印象を先生に伝えたが、先生もまだこの宮を見たことはなく、当方の説明にもどかしさを感じたものだった。 今日は2回目であるがその時に受けた衝撃はほとんどない。何故だが分からないが、横から眺めた時の階段状の段差を設けた屋根が見えないようだ。神社は20年おきに遷宮するので、以前来た15年の間に建て替えられたのか・・。或いは自分の記憶があいまいで、薄れてしまったのか。社殿の前の大楠ですらも良くは覚えていない。夕方近く、人気の少なくなった社殿にそそくさと参拝したが、そうした気持ちのせわしなさもえいきょうしているのか・・。でもまあ、今日の最後に宮参りに間に合って、何よりも良かった。
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鹿児島県の旅行記 夕刻ぎりぎりに霧島神宮に到着した。
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鹿児島県の旅行記 宮がまだ開いていて良かった。
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鹿児島県の旅行記 十数年ぶりに参拝する。
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鹿児島県の旅行記 多層構造の霧島宮。以前受けた時の感動が湧きあがらない...
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鹿児島県の旅行記 瓊瓊杵尊(ににぎ)の逆鉾が高千穂の峰の山頂に刺さって...
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鹿児島県の旅行記 天孫降臨神話の故郷。瓊瓊杵尊は天照大神の孫に当たる。
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鹿児島県の旅行記 ここから日本の国造りの神話が始まる。
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鹿児島県の旅行記 神宮の中でも、格式の高い宮だ。
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鹿児島県の旅行記 社殿の前の大楠。これすらもあったことを覚えていない。
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鹿児島県の旅行記 あちこち全国を回り、あちこちを見ているが、これだけ忘...
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鹿児島 ,【鹿児島県】 南さつま市秋目浦 * 鑑真 日本上陸の地を 旅する
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彷徨人
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2013/06/02~" . 2013/06/02
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

【鹿児島県】 南さつま市秋目浦 * 鑑真 日本上陸の地を 旅する

         お前立ち 御目の彼方 瓊花咲く   鑑真ゆかりの唐招提寺で、鑑真和上の故郷の揚州から送られた『瓊花』(けいか)という花の開花に合わせ、この期間だけ公開するという話を聞きつけたのが、黄金周の直前であった。   鑑真迷の僕は、大阪の友人に声を掛けて、ある日の朝早くに、新幹線で乗り継いで奈良に向かった。幸に、午前中の早い時間であったので、しかも平日の所為もあり、見学者は極めて少なく、友人と二人で、南大門から入り、一番奥にある御影堂の庭に咲く、満開の瓊花の辺りで、花を愛でながらも、耳は友の老いらくの恋物語を聞いていたのだが。   実は、僕のこの『彷徨人旅行記』の表題写真は、以前から『瓊花』の花の写真であるが、それは初めてこの花を見た蘇州で撮ったものである。中国での旅の途中に、この花をこれまでも、何カ所かで見ているが、鑑真さん縁の花は、やはり苦労の末たどり着いた日本で見るのが一入だと、御影堂の満開の瓊花を見ながら、一人ほくそ笑んでいたのである。   そして、唐招提寺から戻るや、旅行記の表題写真を、唐招提寺で撮った『瓊花』の花の写真に替えたのである。同時に、鑑真和上の日本上陸の地を一度訪ねなければという思いに駆られていたのである。   江蘇省の「張家港」は、唐の時代には「黄泗浦」という長江の内港であったところである。753年に鑑真和上は、ここから六度目の正直で、日本に渡っている。     五度の失敗にもめげず、日本に行くことを諦めようとしない鑑真和上は、時の皇帝の許可をも得ず、夜陰に乗じ、揚州から小舟で「黄泗浦」まで、長江(揚子江)を下り、そこで故国扶桑(日本)に帰国する遣唐使の船に乗り換えている。   11月15日の夜半、折からの月明かりを利して帰国しようとした四艘の遣唐使船には、『あまの原、ふりさけみれば春日がなる、三笠の山に、いでし月かも』と、異国の地で故郷を思う心を詠んだ、在唐36年の阿倍仲麻呂が、大使藤原清河と一緒の第一船に乗り込んでいた。   井上靖の著作『天平の甍』によると、出帆した四艘の遣唐使船のうち、第三船(副使 吉備真備)は,六日後の20日に、流されて沖縄に到着している。第一船と、第二船(鑑真一行)は、それよりも一日後の21日に到着した。然し、第四船は、この間に、行方知れずとなっている。   沖縄で半月ほど滞在して、再び日本に向かって出発した第一船と第二船は、翌日に、屋久島に到着している。   十日後に、屋久島を出るが、巨浪と戦うこと四日間、22日の午後、第二船は、薩摩半島の西南部の漁村である薩摩の国、阿多那秋妻屋浦に到着した。   しかし阿倍仲麻呂の乗った第一船は,流され流されて、ベトナムに漂着し、友人白楽天も生死を案じ、彼の消息を憂う漢詩を詠んでいる。安倍の仲麻呂は、三年ほど掛け長安に戻ることはできたが、故国日本へは結局戻ることは出来なかった。   若き日の大阪時代の同僚から、恒例の交流ゴルフを6月に鹿児島で開催するとの案内状が届いた。早速出席の返事を送るや、僕はこの機会に鑑真和上の日本上陸の地に行くべき準備を始めた。   友人との交流ゴルフの翌日、JR鹿児島駅の裏手にあるレンタカー店で、車を借り、福岡の友人を水先案内人に仕立て、指宿スカイラインを南に向かった。生憎当日は曇り空、維持管理の悪い道路を車で進めども,車にはほとんど出合わない。進めども周りに見える風景は、曇り空に加え、どことなく寂れ、うらぶれた雰囲気である。川辺インターから一般国道R225を走り、知覧を通り、枕崎に入る。合流する国道R225を右手に取り、枕崎港を左手に見て進むと、間もなく花渡川に差し掛かった。前方に江戸時代の灯台のような建物が見えてきた。【明治蔵】という芋焼酎の【白波】の醸造元の施設である。焼酎づくりの技術集団として知られる黒瀬杜氏の伝統技術を文化的遺産として、現代に保存・継承していくための工場兼見学施設であるが、焼酎好きな僕は、当然に休憩方々見学することにした。   鑑真和上が日本に上陸した地点は、薩摩半島の西南部の漁村である薩摩の国、【阿多那秋妻屋浦】と言われている。現在の(《南さつま市坊津》である。この地は、昔からの鄙びた漁村だとばかり思っていたが、その歴史を見れば、古代から海上交通要衝の地として栄えており、中世には島津家支配下にあり、中国(明)・琉球との貿易により栄え、倭寇や遣明船の寄港地でもあったようだ。古い本には、坊津は、安濃津(三重県津市)、博多津(福岡市)と並ぶ「日本三大津」(主要な港)と呼ばれてもいたと書いてある。   江戸時代に入り、薩摩藩の密貿易(清や琉球との中継貿易)の地として引き続き栄えていたが、幕府による密貿易の取締り強化により衰退したと言われている。 その後、明治から昭和にかけては、鰹漁業や鰹製造の一大集積地として、昭和初年に隣りの枕崎市に近代的な港が完成するまでは、その繁栄が続いていた。   この町の資料を見ると、古(いにしえ)の貿易拠点として歴史に名を刻んだ港町『坊津』をはじめ、日本に仏教の戒律を伝えた鑑真和上上陸の地、更には「吾田(あた)の長屋の笠峡(かささ)の埼(みさき)」と、古事記や日本書紀にも記された山幸彦・海幸彦、ニニギノミコト・コノハナサクヤヒメが活躍した神話の里でもあると、書いてはあるものの、僕の関心は、ただひたすら鑑真さんだけである。   枕崎港に沿って国道R226を更に西に向かい、やがて南さつま市に入ると、道は次第に上り坂となってきた。左手谷側に、海岸線が時々見え始めてきたが、間もなく、遠くまで見えてきた。【坊トンネル】を貫けると、道は次第に北に向きを変え始め、間もなく【歴史資料センター・輝津館】の建物が見えてきた。そこでこの町の様子を聞こうと車を止めた。地元の人が数人駐車場近くにいたので、道などを尋ねると、前方に連なる三重の山なみを指しながら、あの三つ目の山の向こう側の入り江が、坊津の秋目浦であると教えてくれた。         再び、海岸線を北に向かった。東シナ海に面した坊津地区は、薩摩半島西南端に位置する、断崖と小さな入り江が続くリアス式海岸に沿って広がっている。国道はその海岸線に沿って走っているが、海に突き出た断崖に向かって上っていくかと思えば、今度は山側に向きを変え、内陸部に食い込んだ入り江に向かい一気に下がる地勢が続いており、坊津へは、まさに近くて遠き道のりである。   更に絶景を望む海岸線を走り続けると、やがて坊浦を見下ろす高台にたどり着いた。そこから海を眺めると、穏やかな波間のはるか彼方に、水平線が見えたが、この海の西850キロ先に、鑑真さんが、故郷揚州から下ってきた長江の東シナ海への河口がある筈である。この地に立てば、鑑真さんが命を賭け、六度に渡る挑戦までして来日した意味とその価値が、だんだんと分かるような気がしてきたのである。   手前眼下を見れば、目的地である坊津秋目浦の入江が一望に見え、そこには対峙するように鋭く尖った雌雄二つの岩である【双剣石】がそそり立っている。山側の少し上がった辺りに、海に向かって建っている【鑑真記念館】が見えていた。   間も無く、坊津の【秋目浦】に到着した。   観光宣伝文句を並べれば、白い砂浜、青く透き通った海と緑の断崖が織り成す海岸美、ことに水平線はるかに沈む夕陽は言葉に尽くせないものがあり、神秘的な色彩は、しばし見とれる程の美しさである、ということになるのだろうか。   苦労のあまり盲目となりながらも、天平勝宝5年(西暦753年)12月20日、聖武天皇の招きによって、我が国律宗の始祖、唐僧鑑真が6回目に漸く日本への渡航に成功したのである。 日本上陸の第一歩が記された秋目浦は、海側は、沖秋目島【ピロウ島】を抱いた秋目湾が広がり、山側には、亀ヶ丘の急勾配の山に囲まれた平地の少ない海岸線に沿った集落地である。亀ヶ丘の裾の辺りの斜面に『鑑真記念館』が、はるか故郷の中国を眺めるように建てられている。   しかし僕は記念館には、入らず、周りを歩きながら、時には、立ち止まり、海を眺めたり、山を見上げたりしながら、いつの間にか海南島から広東省、江西省、福建省、浙江省そして鑑真さんの故郷である江蘇省などを、鑑真和上を追っ駆けてきたこれまでの旅の日々を思い返し、実際には見ることは出来ない地平線の彼方の中国大陸の今を思い浮かべていたのである。   記念館の庭の周りには参観した名士たちが記念植樹された木々が植えられており、僕はその中に、まだ小さな『瓊花』の木を見つけた。何となく弱弱しく感じられるこの木が、無事育ち、鮮やかな花が咲くことを、今はただひたすら祈るだけである。   記念館を後に、秋目漁港近くまで下りてきた。T字路の交差で民宿の看板を掲げた店を見つけたが、その店の名前が『鑑真荘』であった。昼食には、些か時間外であったのか、中を覗くと誰もいなかった。大きな声で呼んでみると、愛想はないが、元気な若い女性が出てきた。昼食は刺身定食しかないという。今が旬のキビナゴを中心とした刺身である。しかも前が海、当然に新鮮で旨いのであろうと思うや、早速注文をする。調理人はこの店の主人であろうか、調理後僕の前に座り、いろいろと話しを始めてきた。このあたりの漁師は、今はキビナゴ漁のシーズン、午前1時ごろに、この入り江に船を出し、朝7時ごろ港に戻ってくる。それで一日20万円から30万円の水揚げだという。でも昼は寝ているので、お金を使うこともなさそうだと、笑っていたが。気分を良くしたのか、キビナゴの天ぷらをおまけしてくれた。車の運転があるので、残念ながら、この店が販売している芋焼酎『鑑真』は飲めなかったのだが。   その後 鑑真さん一行は、12月26日に大宰府に到着したが、遣唐使一行の筑紫の大宰府への正式な帰朝報告は、翌754年の正月11日にしている。ここから僅か6日間で、福岡県の大宰府に到着していると言うことは,恐らく陸伝いに海路で、大宰府に向かったのであろう。   鑑真および日本人僧の普照一行が、大阪の難波に到着したのは、754年の2月1日であり、宿舎である東大寺への到着は、2月8日であった。    その後、天平宝字3年(759年)8月に、唐招提寺が完成している。          忘れ得ぬ 想い愛しや 鑑真忌        実は、この旅から戻って三日後の6月5日、唐招提寺で【国宝鑑真和上坐像】の「お身代わり」として制作された『お前立ち像』に魂を入れる開眼法要が行われている。それを聞いて、独りよがりか、僕は何かの縁を強く感じたのである。   天平宝字7年(763年)陰暦5月6日に、鑑真和上は76歳で遷化されている。(唐招提寺では、『鑑真忌』を『開山忌』と呼び、毎年6月6日に執り行っている。)                                    
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鹿児島県の旅行記 南さつま市の地図
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鹿児島県の旅行記 国道R226
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鹿児島県の旅行記 南さつま市内の海岸を走る国道R226からの景色
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鹿児島県の旅行記 南さつま市坊津に向かう風景
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鹿児島県の旅行記 南さつま市 鑑真記念館
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鹿児島県の旅行記 南さつま市坊津、 鑑真記念館から秋目浦を眺める
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鹿児島県の旅行記 南さつま市坊津 民宿『鑑真荘』
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鹿児島県の旅行記 民宿『鑑真荘』での、時間外の昼食
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鹿児島県の旅行記  民宿『鑑真荘』のオリジナル銘柄の焼酎『鑑真』
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鹿児島県の旅行記 民宿『鑑真荘』での、時間外の昼食   今が旬の...
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鹿児島県の旅行記  民宿『鑑真荘』での、時間外の昼食
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鹿児島県の旅行記 南さつま市坊津の海岸線 
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鹿児島県の旅行記 奈良 唐招提寺
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鹿児島県の旅行記 奈良 唐招提寺の『瓊花』
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鹿児島県の旅行記 奈良 唐招提寺 芭蕉の句碑     「若葉し...
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鹿児島県の旅行記 奈良 唐招提寺の『瓊花』
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鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(29)鹿屋を後にし霧島神宮へ向かう。
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2016/12/16~" . 2016/12/18
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薩摩・大隅の旅(29)鹿屋を後にし霧島神宮へ向かう。

今日は忙しい1日だ。朝一番でホテルを出て、フェリーで鹿児島湾を横断し、垂水から一路佐多岬までの150キロを駆け抜け、再び半島を北上し、その根元近くにある鹿屋基地に立ち寄り、今日の最終目的地は県の最北、宮崎県堺にある霧島神宮まで回る予定でいる。鹿屋では本来もっとゆっくりと見学したかったのだが、先のことを考えると、余りゆっくりもしていられない。これから更に100キロ以上を走らなければならないのだ。 2階の展示場にはゼロ戦が中央に堂々と置かれていて、その周りにはヘリコプターとか、コンピューターシュミレーションの設備などの展示もあったが、先を急ぐので、そうした機器類に触れることもなく、そのまま通り過ぎ、再び1階の特攻隊員遺品室等を回ったが、その一つ一つの手紙類を読む時間もなかった。昔、学生の頃毎日新聞社から出版された戦没学生の手記を読み、当時の、自分と同世代の青年がどれ程国を思い、家族を思い、今置かれた境遇に悩み、過酷な人生と真剣に向かい合っていたその時の状況、精神を想像すると涙を禁じ得ない思いがあった。今、ここに展示されている両親、家族あての手紙、遺書などを目にすると、中を読まなくてもその時の情景が自然と思い出された。 自分を含め今の現代人、青年は当時の人々、兵士や戦没学生と比べたら、随分甘い、楽な生活をしていると改めて思い起されるのだが、そうした重く沈んだ心になって記念館を出ると、南国の外の陽光は暖かく、明るかった。入館する前には気が付かなかったが、館の横手には更に新たな航空機が屋外展示されていて、それ等は海難救助ヘリのようだが、南海の荒海で遭難する漁船員等の救助で、時々ニュースになったりするものだった。 最前線新鋭機のジェット戦闘機と比べるとこれ等のヘリ救助機はやや迫力に欠け、強く興味を引き付けるものではなく、ほんの一瞥、写真だけとって、鹿屋を出て国道を北に向かう。道路標識を見ると右手、太平洋岸に向かうと、ペンシルロケットで有名な内之浦とか、いやいやバカにするものではない、JAXA、宇宙開発事業団のロケット打ち上げ基地が今の種子島に移る以前には、宇宙ロケットはすべてこの内之浦から打ち上げられていたのだが、今はマイナーの小サイズロケット打ち上げ基地に格下げされている。 この内之浦の直ぐ北側には志布志湾があり、ここは又鹿児島湾内にある喜入よりは更に大きな石油備蓄基地で、今は何日分かは正確には知らないが、国の施策として、日本で毎日使用する石油の90日分を備蓄している。もしも時間があれば寄り道してこの内之浦?志布志湾の日南海岸を回るきおとも考えたが、如何せん時間がない。今回はオミットして先に進む。 国道は大隅半島根元部分の長閑な田園、森林地帯を都城に向かって進むが、都城には知人の今村さんが住んでいて、たまたま名前はこの前辞職した佐賀出身の今村大臣と同姓だが、彼と違って薩摩藩士の血を引く名家で、以前高千穂峰に登った時に一泊お世話になったが、今回は事前に知らせてなかった。それにもう10年も会っていない。今村さんに電話する誘惑にも駆られたが、もう既に時間も遅く、曾於(そお)という変わった名前の山間部で、右手都城、左手霧島、との分岐点で左を選び、霧島へ急いだ。霧島に着いた時は殆ど夕方近く、参道前の路上駐車の車も1?2台、数える程だった。
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鹿児島県の旅行記 鹿屋資料館2階には操縦シュミレーションなどもできる。
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鹿児島県の旅行記 操縦室にも座ることができる。
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鹿児島県の旅行記 海自救難ヘリか・・
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鹿児島県の旅行記 館の外にも大型ヘリが展示してあった。
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鹿児島県の旅行記 航空オタクが見たら、飽きないだろう・・。
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鹿児島県の旅行記 記念館内外をさっと見終え、次に霧島宮に向かう。
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鹿児島県の旅行記 大隅半島の位置関係が出ている。
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鹿児島県の旅行記 グーバイ、鹿屋!
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鹿児島県の旅行記 霧島宮に着いた時は既に夕方近くになっていた。
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鹿児島県の旅行記 参道が西日に赤くなっている。
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鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(28)鹿屋海自資料館にて零戦を見る。
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2016/12/16~" . 2016/12/18
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薩摩・大隅の旅(28)鹿屋海自資料館にて零戦を見る。

ここ鹿屋の海軍基地から飛び立った若き特攻隊員は900名を超える。その特攻隊員の御霊を奉じるためにこの記念館が設立された。正式な名称は鹿屋航空基地資料館と言う。表立って英霊を祀りあげる行為が憚れる現在、ここは資料館という名前にはなっているが、展示品の大半は特攻として死んでいった各飛行隊の記念写真、遺品、遺書、携行品等の数々である。大半が若い飛行曹、一飛、二飛。中には30代後半の飛行大尉もいれば、40過ぎの少佐もいる。戦争末期、若い兵士を見送った最後に責任を取る形で飛び立っていったのだろう。 どの写真も真剣な眼差しではあるが暗さはない。明日死ぬかも知れない命を外に置いて、屈託のない笑顔が溢れている若者もいる。若者と言っても20代後半だから、既に飛行隊隊長になっている。酒を汲み交わしている場面もある。特攻直前の水盃だ。運命の時間軸を切断し、先輩後輩に続いていく。肩に力は入っていない。諦めの境地か、より多くの成果を上げんとする秘めたる意思か・・ 数々の資料、映像、音響、武具。カメラを向けるのは不敬だ。いやその前に館内撮影禁止になっている。当然だ。彼等英霊に興味本位のカメラを向けてはならない。 2階正面に展示されているゼロ戦、零式艦上戦闘機は特別だ。ここだけは写真撮影は自由で、何人かの来訪者が機の周りを好かず試さず行き来し、写真を撮り、尊敬の眼差しを向けている。好き者に違いない。自分も踏台のステップを上がって操縦席を間近に見る。若き血潮はこの狭い操縦席で、必死必殺の思いで敵艦に向かって行ったのだ。当たって砕けろ、日本人の敢闘精神が凝縮されたようなコックピットだった。名機ゼロ戦を生んだ日本は、戦争に敗れても敗戦国、従属国になることなく、見事に復活し、世界のリーダーの一国になっている。若き命は無駄な死ではなく、未来に生きていた。
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鹿児島県の旅行記 特攻記念館。正式な名称は海上自衛隊鹿屋航空隊資料館。
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鹿児島県の旅行記 入り口付近には海自らしく、戦艦大和の模型が展示されて...
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鹿児島県の旅行記 1階は特攻隊関連の資料、遺書、写真等が展示されている...
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鹿児島県の旅行記 零式艦上戦闘機、こんな間近に見るのは久しぶりだ。靖国...
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鹿児島県の旅行記 零戦の仕様が詳しく記載されている。
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鹿児島県の旅行記 識別標識。だが、所属部隊は書いてない・・
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鹿児島県の旅行記 ああ、機体後部には識別標識がある。詳しく見てみよう。
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鹿児島県の旅行記 操縦室まで見える。
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鹿児島県の旅行記 ああ、こんな小さな単座の操縦室。この個室の中で、特攻...
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鹿児島県の旅行記 当時の日本の技術の粋、今の北朝鮮のICMB以上の知識...
鹿児島県の旅行記
鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(26)砲台を見て昼を食べ開門を眺める。
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鹿児島
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ちゃお
鹿児島県の旅行時期
2016/12/16~" . 2016/12/18
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

薩摩・大隅の旅(26)砲台を見て昼を食べ開門を眺める。

この旅行記は今から半年ほど前の去年の12月のものである。だが昨日の7月11日、お昼のニュースの直前にテレビに赤いテロップと同時に緊急警報が流れ、九州鹿児島方面に大きな地震が発生するとの警報があった。その後昼のニュースの時間になっても現地からの報道が継続されたが、この東京では地震波も感じられず、遠く離れた関係ない地方の出来事と画面を見ていた。テレビでは震度5で、震源地は鹿児島市喜入町沖の鹿児島湾と報じていた。今まで自分はこのブログでもそうだが、錦江湾と覚えていて、そう書いてきた。処が、最近この湾の名称は鹿児島湾と呼ばれるようになったのだ。何時ごろから変更になったのかは知らないが、全国放送で流すテレビで、錦江湾とアナウンスするよりは、鹿児島湾と表現した方が、見て聞く側は直ぐに理解できるだろう。報道は簡単明瞭が良いのだ。 処が後でぞっとしたのは、震源地が喜入沖の鹿児島湾、と聞いたことである。この喜入町は巨大な石油ターミナルになっていて、日本最大級の石油基地だ。今朝鴨池からフェリーで垂水に渡った際にも、フェリーの後方、指宿に向かう手前の海岸線に果てしない数の石油タンクが林立していたが、そこがこの喜入なのだ。TVでは川内原発についての動静が報じられ、被害がないことを伝えていたが、もしもこの喜入石油備蓄基地の真下で直下型地震が発生したら、それこそ原発並みの被害が発生したであろう。巨大な石油タンクは倒壊し、一斉に火を噴き、喜入の町は瞬く間に焼失し、鹿児島湾も火の海で鎮火不能になるだろう。震度5というそれ程巨大でない地震と、震源地が少しずれて湾内であったことが幸いした。しかし又いつ同様な危険に遭遇するかは分からない。地震国日本、行政の対応も急務だ。 さて、半年前の旅行に戻ると、ここお台場公園は幕末の藩主斉彬公により建造されたもので、多分、品川沖のお台場にしても彼の意向が強く働いていたと思われ、幕末の英君の一人であることは間違いない。この砲台から英艦に砲撃した結果、逆襲に遭い、あっけなく打ち負かされたのだが、彼が英君と言われるもう一つの所以は、この薩英戦争における英国軍の強さを目の当たりに体験し、莫大な賠償金を払うとともに英国との単独修好を結び、英国の後ろ盾で幕府軍、倒幕運動に進んで行ったことである。 そうした幕末の風雲急を告げる激動の中で、この藩には英明の君主がいたのだが、新しい日本を見ることもなく、僅かに50を過ぎたばかりの若年で世を去った。もしも彼が明治の世まで生きていたら、この日本はどんな風になっていただろう・・。そんなことを考えながら、丁度この台場公園を見下ろす場所に料亭があり、そこは朝佐多岬に向かう途中に目星を付けていた食堂ではあるのだが、見晴らしの良い個室から、海の向こうに晴れ晴れとした勇姿を見せている開聞岳を眺めながら、少し遅い昼食を摂った。近海物の刺身定食が美味しく頂けた。
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鹿児島県の旅行記 ここは幕末の砲台だけあって、昔の大砲が展示されている...
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鹿児島県の旅行記 キャノン砲だ。
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鹿児島県の旅行記 斉彬公、こうした大砲を昨日の反射炉で作らせていたのか...
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鹿児島県の旅行記 公園には南国の花が咲いている。
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鹿児島県の旅行記 ああ、ハイビスカスも咲いている。
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鹿児島県の旅行記 さて、公園の上の海の見える部屋で昼飯とする。近海の刺...
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鹿児島県の旅行記 窓の外に錦江湾、いや、鹿児島湾が見える。
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鹿児島県の旅行記 正面の開聞岳、何回見ても良い山だ。
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鹿児島県の旅行記 薩摩の最南端、長崎の鼻も見える。
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鹿児島県の旅行記 さて、開門ともここで一旦はお別れだ。
鹿児島県の旅行記
鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(25)台場公園へ。
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ちゃお
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2016/12/16~" . 2016/12/18
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

薩摩・大隅の旅(25)台場公園へ。

幕末、江戸湾(東京湾)にお台場があったように、ここ錦江湾にも同じような砲台があった。外国船打ち払いの目的もあったが、江戸や鹿児島の城下を敵の攻撃から守る、防衛の目的もあった。長門の馬関海峡(関門)高台にも同じような砲台が作られていて、期せずしてこの3国、幕府と薩摩長州はそれぞれに反射炉を作り、自前の砲台も作っていた。江戸のお台場は幸いにも外国船による攻撃には晒されなかったが、長門もここ薩摩も外国船の砲撃によりあっけなく破壊された。 佐多岬から50キロ程戻った辺りが錦江湾が対岸の薩摩半島との間が一番狭まっていて、湾の入り口を塞ぐような形になっているが、そこに砲台が作られている。今は小奇麗なお台場公園になっているが、ここに英明な藩主斉彬公の発案でお台場が作られ、彼自身もこの辺鄙な地まで視察に来ていたのだ。彼が当時使用した手水石など、歴史遺物が残されていたり、大砲なども置いてあるが、この場所は嘗て薩英戦争時に英国軍により破壊され一時的に占領もされたのだが、後からどこかからか運ばれてきたものだろう。 ここからは対岸の指宿が目と鼻の先であり、薩摩半島先端にそびえる開聞岳が大きく姿を見せている。海上から眺めると圧倒的だ。以前屋久島へ行き、帰りに高速フェリーで帰ってきたが、その時に眺めたこの山の美形、一点の瑕疵も無い均整の取れた山が海上に浮かんでいる。戦時中鹿屋、知覧から飛び立った陸海軍飛行隊は、南方洋上での戦いの後、基地に帰投したが、この山を目標に帰ってきたと言われる。それ程、どこから見ても高くて、目立つ山だ。暫くその美形に見とれた。
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鹿児島県の旅行記 大隅の海岸線が続く。
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鹿児島県の旅行記 車も少なく、ドライブ日和だ。
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鹿児島県の旅行記 ああ。標識が出ている。ここから宗谷岬まで2700キロ...
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鹿児島県の旅行記 錦江湾も波静かだ。
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鹿児島県の旅行記 ああ、対岸の指宿が見えてきた。
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鹿児島県の旅行記 ん、山が見える。開聞岳だ。
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鹿児島県の旅行記 素晴らしい勇姿だ。
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鹿児島県の旅行記 湾の一番狭まった場所に公園がある。
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鹿児島県の旅行記 ああ、砲台跡。お台場公園だ。
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鹿児島県の旅行記 当時のお台場の様子が良く保存されている。
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鹿児島県の旅行記 ああ、これが斉彬公使用の手水鉢か・・。
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鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(17)世界遺産「集成館」。
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ちゃお
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2016/12/16~" . 2016/12/18
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

薩摩・大隅の旅(17)世界遺産「集成館」。

明治日本の産業遺産としてここ集成館が世界遺産に登録されたのは去年の事だ。長崎沖の高島鉱・端島(軍艦島)とかグラバー邸は大きくニュースで取り上げられて、多くの人の知るところとなったが、ここ集成館や天草の三角港も同時に登録されたが、殆どニュースにも取り上げられず、知る人は少ない。鹿児島市内にもそうしたお目出度Huppyの宣伝広告などはなかった。 ホテルのある天文館から市内観光バスCity Tourでやってきたが、夕方近くで訪れる人も少なく、又、バスを降りてからも世界遺産登録を宣伝するような幟もなく、知っていなければここが世界遺産の場所とは気が付かないだろう。当方がここへやってきたのは、世界遺産もさることながら、幕末の薩摩藩の富の源泉、殖産興業の跡を見たかったのだ。それと仙巌園。天璋院篤姫がまだ篤子と呼ばれていた幼少時、この近くの浜御殿で過ごしていた。その浜辺と正面の桜島を見たかった。 世界遺産の登録に備えてか、集成館の周辺全体は綺麗に環境整備されていて、外から眺めただけでも如何にも展示館、パビリオンのようになっている。幕末・明治期の最初の時代にはもっと貧し気な、貧弱な様相だったと思うが、今は観光客用である。バス停の正面に古びた神社があるが、これは鶴嶺神社で、島津家歴代の藩主を祭神としている。由緒ある古びた感じの神社であるが、創建は明治になってからであり、薩長が天下を取って以降のことだ。 集成館、現在の正式名称は尚古集成館と呼ばれているが、幕末、斉彬公により近代産業、工業化の必要に迫られ、機械工場、造船工場としてスタートしたが、その直後に薩英戦争により艦砲射撃で灰塵に帰し、講和条約成って以降再築されたものである。ここにも反射炉があり、自分の知る限り、幕末の反射炉は全国でも3か所で、その一つは韮山代官江川太郎左衛門と、毛利の萩のものだった。長州も又馬関海峡で英仏等の4国連合に戦いを挑んだが、僅か1日の戦闘で砲台が占拠され、当時の西欧列強との力の差は歴然だった。 綺麗にお化粧直しされたそれ等の記念館、尚古館を外側から眺め幕末の列強何するものぞ、との薩摩隼人の心意気を感じる。薩長この2国がいち早く西洋の技術を取り入れ、藩を富ませ、且つ列強に戦いを挑む。この間、坂本龍馬が海援隊を組織し、いろは丸を操船して長崎、鹿児島、馬関、三田尻等々、全土を股にかけて縦横に活躍していた時代が偲ばれる。先年、高千穂山に登った時、竜馬と妻お龍が日本人の最初の新婚旅行先がこの山だった、との碑が山頂直下に建っていたが、丁度この頃か・・。 神社を挟んで反対側には仙巌園がある。久光公が作った国の名勝だ。時間が遅く中には入れなかったが、まあ、名園はあちこちで見ているから、オミットしても良いだろう。それよりかこの苑の前の水辺から桜島が目の前に大きく見えている。ここからは僅か数キロの距離だ。篤姫が幼少時今和泉家浜屋敷で毎日この山を眺め、育ったのはこの辺りだ。山は今将に夕日を浴びて赤く染まっている。この山を見ていると、何故か懐かしくなってくる。
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鹿児島県の旅行記 City Busを降りた正面には鶴嶺神社がある。
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鹿児島県の旅行記 ここは歴代薩摩藩主を祀る神社だが、歴史は意外に新しく...
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鹿児島県の旅行記 神社の左側には去年世界遺産に登録された集成館がある。
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鹿児島県の旅行記 幕末、日本の夜明けを担った一つの記念すべき場所だ。
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鹿児島県の旅行記 尚古集成館。当時の記念館、土産店にもなっている。
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鹿児島県の旅行記 この奥に反射炉跡がある。
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鹿児島県の旅行記 神社の右手には国の名勝庭苑、仙巌園がある。
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鹿児島県の旅行記 この前は昔は浜辺になっていたが、今は国道が走っていて...
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鹿児島県の旅行記 赤富士ならぬ赤焼けの桜島。
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鹿児島県の旅行記 陽は沈み、山は再び自然の黒山に戻った。篤姫もこの山を...
鹿児島県の旅行記
鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(15)西郷墓所からの眺め。
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ちゃお
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2016/12/16~" . 2016/12/18
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

薩摩・大隅の旅(15)西郷墓所からの眺め。

この南洲神社の参道にはモダンなデザインの街灯が建っている。年末年始、或いは夜間の参詣者が足元に困らないように設置されているのだ。石灯籠が普通の神社の明かり取りになるが、ここはモダンだ。ガス灯のような感じであり、電気に代わる以前はガス灯で照らされていたのかも知れない。 墓地を真ん中にして南洲神社の反対側には立派な資料館、記念館が作られている。元々この墓所までやって来る人は数少なく、記念館にも人気はなく、閑古鳥が鳴いているような静けさだ。その館の脇を通り、後ろの高台に上る。綺麗に剪定された竹林になっている。竹と西郷との関わりについては当方全く不明だが、この丘の一番高い場所を綺麗に整地し、竹林公園にしているのは、何らかの彼との関りがあるのだろう。熊本からの敗走の際、こうした竹藪で難渋したとか・・。 竹林公園は周囲を竹林とか雑木に囲まれ、視界は開けていないが、又、元の墓地まで戻ると、最初に右手の直ぐ近くに城山の森が見えてくる。案外近く、距離にして2?3キロか。この丘のような台地も当時は戦場になったかも知れない。城山とこの墓地との間の窪地には、今はびっしりと住宅が建っている。緩やかな傾斜はシラス台地だ。今日、鹿児島空港に着陸する直前飛行機の中から見えたシラス台地と同じ地層帯だ。大雨の時などよく地滑りが発生しているが、ここの住宅地は大丈夫だろうか。 墓地を後ろから眺めると、矢張り相当な数の墓石だ。昨日のブログに自分は墓石数を2千有余名と書いたが、これはどこかで見た記憶に基づく数字で、メモした訳でもなく、その記憶は間違いかも知れない。先刻の南洲神社前の招魂碑には7500有余名の戦没者名が刻印されていたが、今見るお墓も同数の7500有余基かも知れない。多くの若者の地が流された。意味のない無駄な戦いだったのかどうなのかは、自分には判断すべき術を持ち合わせてはいないが・・。 その墓地の向こう側に桜島が大きく迫ってきている。先刻城山で見た時よりは、数キロ近づいているので、その分迫力が増したのか・・。西郷も若き御霊も毎日こうして桜島と対峙している。いや、今日の日和を話し合っているのかも知れない。薩摩隼人、桜島に育まれ、桜島と共にあり、最後は又桜島に見守らている。鬼籍に入っても幸せに違いない。
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鹿児島県の旅行記 南洲神社参道には随分モダンな街灯が建っている。
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鹿児島県の旅行記 何か謂れが書いてあるが、鹿児島に最初に電気が導入され...
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鹿児島県の旅行記 墓地を挟んで神社の反対側には記念館が建っている。
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鹿児島県の旅行記 その脇を通り抜け、奥の一段高い台地に行くと、綺麗に整...
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鹿児島県の旅行記 竹林を主にした休憩の小公園のようだ。
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鹿児島県の旅行記 小公園では視界が妨げられていたが、記念館まで戻ってく...
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鹿児島県の旅行記 この西郷墓所と城山の間に広がる住宅地。シラス台地らし...
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鹿児島県の旅行記 今は住宅が密集している。大雨の時などの地滑りの心配は...
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鹿児島県の旅行記 墓地を背後から眺める。相当な数の墓石数だ。2000数...
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鹿児島県の旅行記 墓地の正面には桜島が大きく迫ってきている。
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鹿児島県の旅行記 戦乱に斃れた幾多の御霊も毎日こうして桜島と対話できる...
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鹿児島県の旅行記 薩摩健児、薩摩隼人の家並が眼下に広がる。
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鹿児島 ,Life is journey !2017年GW 鹿児島-熊本 2日目
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Keroro
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2017/05/02~" . 2017/05/02
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

Life is journey !2017年GW 鹿児島-熊本 2日目

九州の旅、2日目は指宿から知覧を経由し鹿児島市へ。 知覧では特攻平和会館、武家屋敷へ。 宿泊先の鹿児島市では美味しい郷土料理とやっぱり芋焼酎! それと天文館むじゃきで定番のシロクマ。 □1日目 羽田空港?鹿児島空港?霧島神宮?黒酢?指宿 ■2日目 指宿?池田湖?知覧?鹿児島 □3日目 鹿児島?人吉?(SL)?熊本 □4日目 熊本?阿曽?熊本空港?羽田
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鹿児島県の旅行記 指宿の朝。 お天気良さそうです。
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鹿児島県の旅行記 朝ごはんもお部屋で頂きます!
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鹿児島県の旅行記 知覧に行く前に、池田湖に寄ってみました。 朝は天気...
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鹿児島県の旅行記 近くに大河ドラマのロケ地となった棚田があるそうなので...
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鹿児島県の旅行記 知覧について最初に特攻平和会館。 館内では小声の私...
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鹿児島県の旅行記 見学後は胸がいっぱいになり、今の自分を反省...
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鹿児島県の旅行記 そして知覧武家屋敷庭園。 天気も回復し、散策日和。
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鹿児島県の旅行記 昼食は武家屋敷群の中にあるお蕎麦屋さん。 外観は古...
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鹿児島県の旅行記 昼食後は500円の共通拝観券を購入し、各庭園を見学。
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鹿児島県の旅行記 どのお庭も手入れが行き届いています。
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鹿児島県の旅行記 武家屋敷の一軒で知覧茶を販売していたので、新茶を購入...
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鹿児島県の旅行記 お茶屋さんのあった武家屋敷のお庭。
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鹿児島県の旅行記 知覧観光の後は一路鹿児島市内へ!
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鹿児島県の旅行記 17時に駅前でレンタカーを返却。
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鹿児島県の旅行記 鹿児島と言えば定番のしろくま! 夕食のことも考え、...
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鹿児島県の旅行記 夕食はネット検索で高評価だった「吾愛人」へ! どれ...
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鹿児島県の旅行記 そこそこおなか一杯になったのですが、 「鹿児島ラー...
鹿児島県の旅行記
鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(14)南洲神社。
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ちゃお
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2016/12/16~" . 2016/12/18
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

薩摩・大隅の旅(14)南洲神社。

西南戦役で没した西郷隆盛を始めとする2千有余名の御霊を祀る墓地の右の奥手に南洲神社がある。南洲とは西郷隆盛の雅称であり、この神社は隆盛を祀る神社として彼の没後に建立された。いつの創建かは知らないが、新政府に対する賊軍の汚名が返上され、彼の名誉が回復した後のことと思われる。 幕末から明治にかけ、各地に偉人、英雄が輩出したが、そんな中で、死後神様と崇められ、神号まで与えられて神社まで建てられた例は数少ない。自分の知る限りでは3人で、その内の一人は先刻参拝した照国神社の祭神島津斉彬公であり、他の一人は今将に参拝する西郷隆盛、南洲神社である。もう一人は長州萩の吉田松陰。彼の私塾松下村塾の松林の中に松陰神社が建っている。余談になるが、30数年前、境内のすぐ前の土産店で買った萩焼の湯飲みは、今でも毎日使用している。時々は萩のこと、私塾のこと、松林のことを思い出しつつお茶を飲んでいる。 社殿の正面には西郷南洲のいつも見慣れた薩摩のおいどんの顔写真が掲げられ、その横に座右の銘「敬天愛人」の額が掛かっていた。南洲自身の自筆による太くて黒々とした力強い筆致だ。将に天の命ずるまま運命に従って従容と生き、隣人、藩と国人、国家を愛していた。北村西望の成す上野公園の犬を引き連れた純朴の銅像と同じに、慈愛の深い、心の深い顔立ちだった。 神社の前には丁度沖縄摩文仁の丘の礎(いしじ)と同じように、西郷に従った6千有余名の将兵の名が刻まれている。見ると将兵は広く薩摩大隅日向の各国元、各藩から集められた健児で、この神社もそうした遺族の総意により建立されたものだろう。明治の初め、国の方針と意見を異にし、新政府に反抗する形で決起したが、その意図するところは国を思い、行く末を案じての旗揚げであって、名誉は早晩回復されるべきものだった。 琉球語では碑をいしじと呼ぶが、薩摩方言では何と呼ぶのか・・。藩別、郷別、氏族別に刻字された墓碑を一渡り眺め、墓地の奥の宗林を歩いてみることにした。
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鹿児島県の旅行記 西郷墓地の右奥には南洲神社がある。
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鹿児島県の旅行記 南洲神社、即ち、西郷隆盛の御霊を祀る神社だ。
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鹿児島県の旅行記 過去の今もこの先も県民から敬愛されている西郷どん。
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鹿児島県の旅行記 敬天愛人。西郷さんの座右の銘だ。
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鹿児島県の旅行記 神社の前には西南戦争に従い、犠牲になった将兵を供養す...
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鹿児島県の旅行記 各藩、各郷から参集した兵子、健児の名前が刻まれている...
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鹿児島県の旅行記 靖国に祀られる将兵同様に、ここに祀られる兵士の遺族も...
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鹿児島県の旅行記 出身地別、名前別に6755名の名前が刻まれている。
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鹿児島県の旅行記 神社の中には戦争当時の鹿児島市内の写真が掛かっていた...
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鹿児島県の旅行記 親しみがあり、奥深い西郷さん、どん。左右に桐野、篠原...
鹿児島県の旅行記
鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(13)屋敷町の奥の西郷墓所へ。
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鹿児島県への旅行者
ちゃお
鹿児島県の旅行時期
2016/12/16~" . 2016/12/18
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

薩摩・大隅の旅(13)屋敷町の奥の西郷墓所へ。

西郷像の建つ中央公園周辺には幾つもの歴史的建造物が建っている。鹿児島も空襲に遭った筈だからこれ等の建物は戦後建てられたのか。飛び乗ったバスはもう一度城山駐車場に向かうが、その途中西郷洞窟の前を通過する。何人か下車し、又何人か乗る人もいた。西郷最後の場所をこの目で見ておきたい、という観光客も多いのだ。バスは旧城址から東外れに当たる武家屋敷地区に入り、自分もそこで下車する。篤姫の生家、今和泉家もこの辺りのどこかにある筈だが、幾つかのそれらしき豪壮な邸宅を見るが具体的にどこがその邸宅かは分からなかった。いずれにしても島津本家の外戚の一つ、領主でもあって、それなりの立派な邸宅だったろう。 その屋敷町を登った先の丘の上に西郷神社がある。西郷神社もそうだが、そこには西南戦争で亡くなった西郷軍の将兵2000数名の墓石が一堂に奉じられていて、壮観だ。坂を上って行くと前方に鳥居が見てきて、この丘の上に墓地があり、且つ、神社があることを示している。しかしここまでやって来る観光客はごく稀で、殆ど行きかう人もいない。鳥居をくぐると、先ず最初に目に着くのは、正面のひときわ大きな墓石で、そこには「西郷隆盛の墓」と刻されている。後は何も書いてない。戦乱前は陸軍大将であったが、新政府に歯向かい剥奪され、遂には敗れて頓死。爵位も何もなく、南洲翁という雅号もなく、一人の人間として葬られている。人として生き、人として死ぬ、それが彼の本望だったのかも知れない。 どこかで見たような墓石だ、と思って眺めていたら、それは三鷹の禅林寺にある森鴎外の墓石と形も大きさも質感もそっくりだった。森鴎外も陸軍中将で没したが、墓石には単に石見人、森林太郎との本名が刻されているのみだ。墓石は当然ながら西郷の方が先に建立されていたのだから、鴎外は西郷の無冠の墓碑を知って、同様にしたのか・・。鴎外に生前何等かの心の負い目でもあったのか・・。あったとすれば日露戦争時の疫学対応位だと思うのだが・・。いずれにしても鴎外と西郷の形も大きさもそっくりの偶然にはたと気が付いた。 鹿児島県人の敬愛止まぬおいどん西郷。反乱軍となっても県民の情は篤く、遺族関係者が力を合わせ、見晴らしの良い丘の上にこれだけの規模の墓地を作った。大将も隊長も兵卒も皆一緒になって眠っている。線香の香りは漂ってはいないが、献花はどれも新しい。敬愛者や遺族が日々やってきては捧げているのだろう。どっしりとした重量感のある墓石。誰がやってきてもここからは動かんぞ、と無言の主張をしているようだ。暫く墓石、墓域を眺めていると、若いグループの何人かがやってきた。それを汐に西郷神社へお参りに行くことにした。
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鹿児島県の旅行記 中央公園、西郷像の前には、幾つかの歴史建造物が建って...
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鹿児島県の旅行記 これは博物館。戦災には遭わなかったか・・
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鹿児島県の旅行記 県文化センター。
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鹿児島県の旅行記 City Busは途中西郷洞窟の前を通過する。
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鹿児島県の旅行記 住宅街で降り、西郷墓所、神社を探す。
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鹿児島県の旅行記 住宅地を抜けて高台に向かう。
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鹿児島県の旅行記 丘の上に鳥居が見える。ああ、ここが西郷神社だ。
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鹿児島県の旅行記 石段を上ると、12月なのにまだ銀杏がまだ黄葉していた...
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鹿児島県の旅行記 石段を登った正面は墓地で、その真正面に西郷の墓石が建...
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鹿児島県の旅行記 いやー、どっしりした重量感のある墓石だ。無冠の隆盛。
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鹿児島県の旅行記 左右を桐野、篠原等の隊長が取り囲んでいる。
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鹿児島県の旅行記 広大な墓地には、西郷に従って散って行った将兵が一堂に...
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鹿児島県の旅行記 国を思い、家族を思い散って行った2000数百名の西郷...
鹿児島県の旅行記
鹿児島 ,西郷どんの偉大さを実感した南九州の旅!
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鹿児島
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yamayuri2001
鹿児島県の旅行時期
2017/05/19~" . 2017/05/23
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

西郷どんの偉大さを実感した南九州の旅!

この旅行で、歴史における鹿児島の重要さを実感しました。以前四国を訪問したときにも 西日本の歴史の深さを知りましたが、今回再び、明治維新において、どれほど重要な役割を果たしたのかを 痛感しました。 桜島が、毎日噴火しているなんて・・・ ハワイ島だけではなく、地球は生きているを 実感した旅でした。 5月19日 JAL便で羽田から熊本へ       ホテル日航熊本に宿泊       水前寺公園・熊本城・加藤神社訪問 5月20日 阿蘇草千里・大観峰       高千穂・天岩戸神社へ       延岡ホテルメリージュ宿泊 5月21日 都城経由で宮崎市へ       鵜戸神宮参拝・青島訪問       シェラトングランデ・オーシャンリゾート宿泊 5月22日 都城経由で櫻島へ       尚古集政館・仙巌園       ベストウェスタン・レンブラントホテル鹿児島宿泊 5月23日 維新ふるさと館       城山・鶴丸城跡・南州神社参拝       JAL便で夕刻 鹿児島空港から羽田へ
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鹿児島県の旅行記 ホテルメリージュ延岡の朝食バイキングは、地元の食材を...
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鹿児島県の旅行記 青島神社に参拝しました。海の真ん中の拝殿ですが、航海...
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鹿児島県の旅行記 裏手に回ると、このように亜熱帯植物が群生しているのが...
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鹿児島県の旅行記 駐車場近くには、宮交ボタニックガーデン青島がありまし...
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鹿児島県の旅行記 この時期、とても綺麗に手入れされて、美しく花が咲き誇...
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鹿児島県の旅行記 温室に入ると、なんともシンガポールのボタニックガーデ...
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鹿児島県の旅行記 それもそのはず、シンガポールの植物園とは姉妹園でした...
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鹿児島県の旅行記 今日のホテルは、シェラトングランデ・オーシャンリゾー...
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鹿児島県の旅行記 オーシャンビューなんですが、ゴルフ場が眼下なので、あ...
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鹿児島県の旅行記 お部屋はコンパクトですが、一泊だけなので、特に問題は...
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鹿児島県の旅行記 アメニティーは、数は十分ですが、シャンプー・リンスに...
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鹿児島県の旅行記 バスタブもリニューアル直後なので、気持ちよく使えまし...
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鹿児島県の旅行記 ショップがお洒落です。ちょっと覗いてみるつもりが、ど...
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鹿児島県の旅行記 南国色豊かです。この椰子は・・・天然木ではなかった!
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鹿児島県の旅行記 こちらの蘭は本物です。うっとりするくらい綺麗な色です...
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鹿児島県の旅行記 朝食はビュッフェレストラン・パインテラスでいただきま...
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鹿児島県の旅行記 こんなデザインです。全室オーシャンビューです。周りに...
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鹿児島県の旅行記 一つ葉有料道路を走ります。なんて気持ちのいいドライブ...
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鹿児島県の旅行記 そして九州自動車道路を南へ走りました。対向車もなく、...
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鹿児島県の旅行記 走ること2時間、最後は恐ろしく狭くてダートな山道をド...
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鹿児島県の旅行記 噴火しています。
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鹿児島県の旅行記 噴煙は徐々に立ち上がり、桜島が活動していることを実感...
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鹿児島県の旅行記 桜島フェリーで、対岸の鹿児島市に渡ります。このフェリ...
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鹿児島県の旅行記 鹿児島からフェリーが到着しました。
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鹿児島県の旅行記 ずっと眺めていたい桜島!
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鹿児島県の旅行記 15分で鹿児島港に到着しました。もっと乗船したかった...
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鹿児島県の旅行記 鹿児島港から車で15分ほどのところに 尚古集成館があ...
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鹿児島県の旅行記 薩摩藩主島津斉彬が富国強兵を実践した時に建てられた機...
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鹿児島県の旅行記 ゆっくりと内部を観て、隣の仙巌園へ。あまりの暑さに、...
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鹿児島県の旅行記 仙巌園は50000平方メートルの庭園です。入園料が1...
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鹿児島県の旅行記 この篤姫のロケ地となった正門は、威厳があります。
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鹿児島県の旅行記 庭園は手入れが行き届いています。緑が鮮やかで、癒しの...
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鹿児島県の旅行記 青空に映えるこの門をくぐると、島津家の殿様が生活して...
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鹿児島県の旅行記 お殿様は、毎日こんな景色を眺めておいでだったのですね...
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鹿児島県の旅行記 あやめが、綺麗に咲き揃っていました。
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鹿児島県の旅行記 この八角の池は、御殿の中庭の池で、パワースポットです...
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鹿児島県の旅行記 こちらは、先ほどの中庭の池と対になっています。強いヒ...
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鹿児島県の旅行記 御殿のお部屋は、外から見ると、このような感じですが、...
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鹿児島県の旅行記 巨石で作られた石灯籠!本当に巨大でした。
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鹿児島県の旅行記 日本初の水力発電所。
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鹿児島県の旅行記 そして、日本初の竹林!
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鹿児島県の旅行記 反射炉跡を見学し終わった時刻は、もう閉園の時刻でした...
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鹿児島県の旅行記 鹿児島は錦江湾のオーシャンビューホテル ベストウェス...
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鹿児島県の旅行記 室内はシンプルですが、ちょっと設備が古かったです。ベ...
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鹿児島県の旅行記 このビューは気に入りました。
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鹿児島県の旅行記 バスルームは古いユニットバスなので、狭くて使いにくか...
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鹿児島県の旅行記 隣が垂水フェリーの発着所でした。
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鹿児島県の旅行記 夕焼けの桜島も迫力がありました。
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鹿児島県の旅行記 朝日が桜島から昇ります。感動的な景色です。
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鹿児島県の旅行記 朝食ビュッフェで元気をたくさんいただいて、出発です。
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鹿児島県の旅行記 こんなインフォメーションには、驚かされますね!
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鹿児島県の旅行記 朝一で維新ふるさと館へ行きました。鹿児島の歴史を知る...
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鹿児島県の旅行記 展示室の下がシアターになっていて、「維新への道」とい...
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鹿児島県の旅行記 西郷どんの偉大さを感じたこの施設は、行ってよかったと...
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鹿児島県の旅行記 豪華絢爛の篤姫の間も再現されています。
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鹿児島県の旅行記 薩摩切子の展示品も工程の繊細さが伝わります。
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鹿児島県の旅行記 維新ふるさとの道には南州橋がかかり、当時を思い起こさ...
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鹿児島県の旅行記 甲突川沿いを歩くと
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鹿児島県の旅行記 昔の家屋がありました。
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鹿児島県の旅行記 維新の時の生活の匂いがします。
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鹿児島県の旅行記 西郷隆盛生誕の地には、このような碑がありました。
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鹿児島県の旅行記 鹿児島城山展望台に来ました。駐車場から少し登ります。
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鹿児島県の旅行記 鹿児島市街地が見渡せます。天文館のアーケードも見えま...
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鹿児島県の旅行記 天文館に行ってむじゃきのしろくまを食べたかったのです...
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鹿児島県の旅行記 最後に南州墓地へ行きました。西南戦争の戦死者が埋葬さ...
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鹿児島県の旅行記 日本の維新に尽力された方々、本当に先見の明がありまし...
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鹿児島県の旅行記 墓地の隣には 西郷南洲顕彰館があり、明治維新の先覚者...
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鹿児島県の旅行記 レンタカーにガソリンを入れて、鹿児島空港へ。
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鹿児島県の旅行記 鹿児島空港にはエアポートギャラリーがあって、航空機フ...
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鹿児島県の旅行記 フライトシュミレーターもありました!
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鹿児島県の旅行記 しっかり見ていたら、乗り遅れそうになりました・・・
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鹿児島県の旅行記 もう、搭乗口まで走るしかない!
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鹿児島県の旅行記 間に合いました。ん?どらえもんジェットだ!テンション...
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鹿児島県の旅行記 嬉しいな!って、ペイントしてあるだけなのに、ドラえも...
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鹿児島県の旅行記 うっすらと富士山が!
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鹿児島県の旅行記 旅の終わりは、寂しいけれど、またどこかに行こうと思う...
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鹿児島県の旅行記 最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございま...
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鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(12)照国神社資料館を見て西郷像へ。
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ちゃお
鹿児島県の旅行時期
2016/12/16~" . 2016/12/18
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

薩摩・大隅の旅(12)照国神社資料館を見て西郷像へ。

照国神社の正式な表記は照國であり、先にも触れたように、この神社は薩摩藩第11代藩主島津齋彬公が照國大明神として神格化され、その大明神を御祭神として幕末に創建された神社で、正一位、鹿児島の総氏神となっている。境内には資料館が併設されていて、中に入ると、齋彬公の数々の事績が展示されている。彼は主に江戸の薩摩藩邸(現・田町のNEC本社ビルの跡地)に住んでいて、国元の薩摩に帰るのはまれであったが、英明高い藩主で、多くの薩摩藩民から慕われていた。一説によれば、西郷も公のお庭番のような裏の仕事をしていたとのことを何かの本で読んだこともある。 資料館の中には公の見慣れたふくよかな顔立ちの写真なども展示され、一昨日、銅像の顔立ちと写真とは大分違うのではないかとのコメントが名無しのキムチ氏より寄せられたが、確かに銅像の顔立ちと写真はかなり違っている。銅像は朝倉文雄氏の彫塑であるが、彼は写真も見ないで、勿論実際の齋彬公とも会ったこともなく、話の中の想像で制作されたものなのか・・。中にはペリーの写真なども展示されていて、幕末の緊迫した空気がどことなく漂っていた。 資料館を出て、先刻City Busの中でチラっと見えた西郷隆盛像に向かって歩く。神社と旧鶴丸城址の前は中央公園になっていて、その正面に城山を背にして隆盛像が建っている。この像がいつ建立されたのかは知らないが、その前の歩道には「西郷南洲翁終焉百年之碑」とあり、没後100年を記念して建立されたものかも知れない。官軍の軍服姿の威風堂々としたもので、既に賊軍の汚名は注がれている。 西南戦争後、100年経った今では、西郷翁、いや、南洲翁は郷土の英雄になっている。いやそれは、西南戦争が起きようが起きまいが、薩摩のみならず、日本の開国の英雄であることには違いない。さて、見上げるような高さの南洲翁の銅像を眺め、再びCity Busに飛び乗って、いよいよ最後神社に向かうことにした。
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鹿児島県の旅行記 照国神社境内には資料館もあって、中に入ってみる。あ、...
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鹿児島県の旅行記 良く見慣れた島津斉彬公。今は照國大明神として崇められ...
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鹿児島県の旅行記 佩刀なども展示されている。
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鹿児島県の旅行記 斉彬公言行録。
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鹿児島県の旅行記 照国神社を後にして西郷像に向かう。
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鹿児島県の旅行記 照国神社の前は綺麗に整備された中央公園になっている。
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鹿児島県の旅行記 街のどこからも城山が大きく見える。
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鹿児島県の旅行記 城山を背に西郷像が建っている。
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鹿児島県の旅行記 軍服姿の堂々たる銅像だ。
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鹿児島県の旅行記 その前の歩道には南洲翁終焉100年の碑、とある。
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鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(11)鶴丸城址を通り抜け照国神社へ。
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2016/12/16~" . 2016/12/18
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薩摩・大隅の旅(11)鶴丸城址を通り抜け照国神社へ。

九州には多くの名城がある。その筆頭は熊本城であり、黒田50万石の福岡城、それに転封前の細川小倉城。小さなお城でも2万石の秋月城、荒城の月の岡城、小村寿太郎の飫肥城、等々数え上げれば切りがない。当方過去これ等のお城の大半は訪問しているが、ここ薩摩の鶴丸城は今回が初めてだ。お堀の石垣しか残っていない名城とは言い難いお城で、魅力の乏しいもので、それでパスしていたのかも知れないが、それでもここは日本100名城に選ばれている。お城の魅力というよりかは、歴史的価値に重みを置かれたことかも知れない。 当方がよくハイキングに行く八王子城址も日本100名城の一つで、時々お城巡りのツアー客に遭遇したりするが、この城も最近では随分と整備が進み見栄えも良くなってきたが、それ以前は原野の中にあるような遺構で、石垣も定かでなく、それでもここが100名城に選ばれた背景には北条小田原城の支城という位置づけと、その険峻な山城にあった。そんな何もない山城でもお城巡りのツアー客は嬉々として記録帳に記念のスタンプを押していた。そんな八王子の山城と比べたら、こちらの鶴丸城址の方がまだマシかも知れないが・・。 元よりここは敵からの防衛上の城ではなく、薩摩のお殿様のお館、御座所に過ぎないのだから、本丸もなければ一の丸、二の丸などもない。鶴丸城という平地があるだけで、今はそこに黎明館という資料館や県立図書館が建っているが、その平地を横切るように照国神社に向かう。敷地内には立派な顔立ちの天璋院の銅像が建っていたが、これは何年か前NHK大河ドラマで放映されて以降にその記念として設置されたもので、それ以前に設置されたものとしては、戦没医学生の銅像もあった。鹿児島は沖縄と違って現実には戦場にはならなかったが、多くの医学生が戦地に駆り出されたのだろう。 お城を出た隣が照国神社の延長のような緑地帯になっていて、そこには明治の元勲、島津久光公と斉彬公二人の銅像が城山を背に高々と建っていた。近代日本を作り上げたという薩摩人の誇りがそこに凝縮されているようだった。西郷の乱は一人私兵の氾濫であり、国政や反体制を揺るがすものではなかった。そんな主張をしているようにも見えた。尤もこの二人は明治が開幕する以前に没してはいたのだが。 その斉彬公を顕彰するために、ここ照国神社が創建された。それは明治御一新以前のことで、幕末当時の薩摩藩の財政力を感じさせるものがあった。この後訪問する予定になっている薩摩集成館を始めとする殖産興業、琉球を通しての裏貿易、等々で富を蓄積し、260年続いた徳川幕藩体制をひっくり返す、大きな原動力になった。その元を作ったというか、集大成をしたというのが斉彬公で、その開明な藩主を祀るに相応しい立派な神社であった。
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鹿児島県の旅行記 旧鶴丸城址の敷地内には戦没医学生の碑もあった。
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鹿児島県の旅行記 お城の並び、照国神社との間の緑地帯には、明治の元勲の...
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鹿児島県の旅行記 後ろの山をバックに島津のお殿様も明治になって名誉軍人...
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鹿児島県の旅行記 ああ、島津久光公だ。斉彬とは確執があったと言われるが...
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鹿児島県の旅行記 島津斉彬公。英明の誉れ高い。
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鹿児島県の旅行記 写真の顔とはちょっと違うようだが、銅像にするとこんな...
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鹿児島県の旅行記 台座には数々の事績が刻されている。
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鹿児島県の旅行記 緑地には古い社なども残っている。
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鹿児島県の旅行記 斉彬公を祀る照国神社だ。
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鹿児島県の旅行記 丸に十の字。薩摩の旗印だ。
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鹿児島県の旅行記 すっきりとした、楚々とした感じの神社だ。
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鹿児島県の旅行記 槙の木の見事な枝ぶり。
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鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(10)薩摩義士と天璋院篤姫。
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薩摩・大隅の旅(10)薩摩義士と天璋院篤姫。

江戸の神田上水に遅れること僅かに数十年、この薩摩の僻遠の地に於いて上水道が完備され、城下の家庭に配給されていたのは驚きであったが、この一事を見ても薩摩の進歩性がうかがえた。豊織の時代、全国大名を平定した秀吉は唯一手を下すことの出来なかった藩がここ薩摩で、政略により日向の支藩の幾つかを分離させたに過ぎなかったが、江戸期に入ってもその薩摩の力を削ぐ政策がとり続けられてきた。先年桑名を訪問した時、木曽川の河岸、旧東海道の船着き場、桑名宿を訪問した際、そこに江戸時代の中期の宝暦年間、幕府に命じられた薩摩藩が多大な犠牲を払って桑名三川、木曽川、揖斐川、長良川の河川分流の土木工事、河川工事を行い、その後のこの地区の川の氾濫を食い止めた事績の石碑が建っていて、ああ、徳川の幕閣親藩はそれ程までに薩摩の力を恐れ、無理難題を命じたのか、としみじみ思った。 今この城山を下り、丁度その同じ頃藩内では「近衛の水」の水道事業を始めていたが、その源泉取り入れ口から少し下った場所、城山の麓の西郷洞窟へ向かう登り口付近に「薩摩義士の石碑」が建っていた。ここの石碑は桑名とは比較にならないほど立派なもので、この河川工事で落命した80余名の御霊を祀るものであった。今ではこうした河川事業を知る人は濃尾平野のごく一部の人、或いは薩摩人の一部しか知らないであろうが、今でもこうして顕彰され香花は絶えない。 この石碑のすぐ下は既に旧鶴丸城の辰の位置に当たり、苔むした石垣が見えている。浅い空堀だ。このお城は戦闘用に作られたものではなく、武田信玄の甲府城、「お館」とか、自分が休日によくハイキングに行く旧八王子城の「御主殿」のようなもので、天守閣を持たない御殿であった。信玄の、「城は人、人は石垣」、ではないが、ここ薩摩も周囲を島津親族、家臣団に守られ、敢えて堀を深堀りすることもなく、防御の天守閣を備えることもなかったのだ。 当方が年末の慌ただしい中、鹿児島までやってきた背景の一つには直前に読んだ宮尾登美子の「天璋院篤姫」に啓発されたのも理由の一つで、嘗て鹿児島は通過したに過ぎない街だったが、今回は少しゆっくり観光して見よう、とのことだった。最初に城山を訪ね、西郷終焉の地に立ち、正面の雄大な桜島を眺め、既に鹿児島にやって来た十分な価値を見出したが、この鶴丸城でも篤姫の何等かの足跡を知ることになるだろう。 低い石垣は当時のままだったが、城内にあった御殿は取り払われていて、今では黎明館という記念館になっているが、その建物の前に篤姫の立派な銅像が建っていた。島津外戚に生まれた姫は斉彬の養女となってこのお城から鹿島立ち、将軍家定に入内した。家定公は若くして亡くなり、その後徳川家も大政奉還した後も、彼女は一市民として東京市中に生き、明治の中半に亡くなった。そのきりりとした顔立ちは、幕末から明治の動乱の時代を生き抜いた強い女性の力が漲っていた。
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鹿児島県の旅行記 城山山中にはこうした遺跡や顕彰碑が所々に建っている。
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鹿児島県の旅行記 南国だけあって、バナナも元気に自生している。
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鹿児島県の旅行記 今頃の季節でも寒椿が満開だ。
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鹿児島県の旅行記 近衛の水から500m程下った場所に立派な碑があった。
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鹿児島県の旅行記 ああ、これは薩摩義士の石碑だ。宝永年間、木曽川治水工...
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鹿児島県の旅行記 この石碑のすぐ下が鶴丸城址になる。
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鹿児島県の旅行記 戦闘用のお城ではなく、堀も浅い。
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鹿児島県の旅行記 鶴丸城には元々本丸、天守閣は無かったが、今は黎明館と...
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鹿児島県の旅行記 ああ、あった。その前に天璋院篤姫の銅像が建っていた。
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鹿児島県の旅行記 流石に立派なお顔立ちだ。
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鹿児島県の旅行記 神になった薩摩義士。
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鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(8)鹿児島・城山からの眺望。
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薩摩・大隅の旅(8)鹿児島・城山からの眺望。

鹿児島City Viewの赤バスは市内を循環して、城山の真下にある旧鹿児島城、鶴丸城址の前を通り、城山の裏側に回って、西郷が自決するまでの数日間を過ごした洞窟前を通過して、城山山頂直下の駐車場に停車した。乗客のほとんどはここで降り、又、新たな乗客が乗り込んできた。城山山頂まではこの駐車場から凡そ500m程。歩いて5分もかからない。人々は駐車場を取り巻くようにして並んでいる土産店の前の道を通り抜けて山頂に向かう。ここから先山頂までのだらだら坂は原生林に覆われている。この原生林は明治10年、この山中で西郷軍と政府軍が激しく戦った時も、今と同じように鬱蒼と茂っていたに違いない。が、明治神宮の森は、僅かに100年程度で、あれ程見事な原生林に成長しているので、或いはこの山の森も、一旦はハゲ山になったのだが、その後の150年の間に、この様な立派な自然林に育ったのか・・。 深い森の霊気に打たれながら歩くこと凡そ5分、目の前の森が開けて、崖上に出る。城山展望台だ。標高は僅かに100mちょっと。だが、展望台は殆ど垂直に近い崖上にあって、見晴らしは抜群であり、眼下の鹿児島市内、正面の桜島、或いはその手前の錦江湾、等々が一望の元に開けている。100mの高台とはとても思えない雄大な光景だ。正面にどっしり構えた桜島が、その雄大さを更に引き立てているのだ。しかし今日は惜しむらくは噴煙を漂わせてはいないのだが・・。 この展望台の少し奥が山頂になっていて、切り開かれた10坪ほどのテラスには石碑も立っていて、西郷隆盛がここで指揮を執った西南戦争激戦の状況が刻されている。国を思い、日本の将来を思い、思いと思いが激突した新生日本。この時西郷はまだ50にもなっていなかた。西郷軍の幕僚、桐野にしても篠原にしても村田にしても皆50前の壮年だった。この坂道を駆け上り、駆け下り、相知る相手の政府軍と銃火を交えていたのだ。この戦争を最後として、明治日本は、真の新生日本として新たな歩みを進んで行ったのだ。ここはその記念すべき場所である。
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鹿児島県の旅行記 鹿児島市内循環バスは城山のふもとを回り、山中に入って...
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鹿児島県の旅行記 12月だというのに、山中ではまだ紅葉が残っている。
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鹿児島県の旅行記 駐車場からは原生林の林の中を約500m程歩き展望台に...
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鹿児島県の旅行記 随分鬱蒼とした樹木が生い茂っている。
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鹿児島県の旅行記 ああ、間もなく展望台だ。
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鹿児島県の旅行記 展望台からの眺めは素晴らしい! 鹿児島市内が一望だ。...
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鹿児島県の旅行記 正面にはまた桜島がどっしりと構えている。
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鹿児島県の旅行記 ああ、錦江湾には自衛艦も浮かんでいる。流石に軍都だ。
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鹿児島県の旅行記 湾の奥、霧島連山の方まで見通せる。
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鹿児島県の旅行記 今日の桜島は煙を噴き上げていないが、それにしても名前...
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鹿児島 ,邪馬台国は徳之島だった
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2012/05/16~" . 2012/05/22
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邪馬台国は徳之島だった

邪馬台国論争に終止符!? 邪馬台国は徳之島だった!? 『魏志倭人伝』に記されている卑弥呼の邪馬台国は、徳之島が有力という事で現地を視察し色々な実証をつかんできました。 1.邪馬台国論争に終止符!? ?『竹取物語』の不老不死薬と徐福伝説から邪馬台国を発見。物語に登場する宝貝と不老長寿薬から「徳之島」と推定! 魏志倭人伝の方位と距離など80%が一致。 ?『魏志倭人伝』に記す邪馬台国は、方位&距離から九州より南の大海「徳之島」。昔から新井白石らが苦悩、畿内・九州説の議論続くが、帯方郡東南の大海の中の山島。 2.邪馬台国は「徳之島」だった!? ?『魏志倭人伝』に記す「南水行十日陸行一月」は、真ん中に「又」が無く「投馬国から南へ水行十日(+)陸行一月」。年中温暖「海南島」と同じ気候、裸足で入墨、長寿の島。 ?伊仙町で発掘された弥生時代のシャーマン(卑弥呼?)墓は、魏志倭人伝と同様、棺あるが外箱無しの土葬「巳葬」である。聖地の前方後円墳は百余歩あり、山は丹(赤土)ある。 ? 中国貨幣(宝貝)出土は徳之島との交易の証。戸森の舟の線刻画(鉄器で描く)と不老不死薬、除服の坐像石は、徐福が最初に渡来して邪馬台国・卑弥呼の王国を誕生させた。 ■取材等お問合せ『竹取翁博物館』館長 小泉芳孝。京都府京田辺市三山木直田10 0774-62-2522 ■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。 copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.
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鹿児島県の旅行記  魏志倭人伝に記されている卑弥呼は「巳葬」されたとあ...
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鹿児島県の旅行記 後漢書 秦の始皇帝、方士徐福を遣わし、童男女数千...
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鹿児島県の旅行記 「徐福さん」鳥羽一郎が歌う「徐福さん」紹介します。 ...
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鹿児島県の旅行記 写真は、徳之島で発掘された卑弥呼と見られる土葬「巳葬...
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鹿児島県の旅行記 2012年7月1日から「竹取翁博物館」で「邪馬台...
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鹿児島県の旅行記  竹取翁博物館の小泉館長は、毛沢東が生きていた時代か...
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鹿児島県の旅行記 写真は「卑弥呼の墓」と見られる所です。ここから20~...
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鹿児島県の旅行記 邪馬台国は徳之島(牛馬いなかった)説が有力!? 魏...
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鹿児島 ,2017年5月・鹿児島紀行 : 霧島?姶良(蒲生町・漆)に日本の原風景を求めて!!
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JGC_SFC
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2017/05/26~" . 2017/05/30
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

2017年5月・鹿児島紀行 : 霧島?姶良(蒲生町・漆)に日本の原風景を求めて!!

仕事(出張)で、九州を訪問する機会は多かった。 大分, 熊本, 宮崎、&鹿児島・・・その度に「仕事抜きでゆっくり来たい♪」とず?っと思っていた。 2017年5月、4泊5日の鹿児島旅行♪ 鹿児島市内?指宿?佐多岬と回り、そして後半は、霧島?姶良市へと旅を進める。 この姶良市が、今回の目的のひとつ♪ 姶良市は、旧姶良郡の姶良町, 蒲生町, 加治木町が2010年に合併して出来た市であり、歴史的な建物や豊かな自然が多い。 そして、今回は蒲生町の北端近く、山里の『漆』(うるし)を訪れる。 山々に囲まれた、緑豊かな山里・・・平家の落人伝説もあると言う。 この "漆" に、日本の原風景を探しに行こうと思う (^^) ●5月29日 (快晴) 鹿児島の旅も4日目、今日は佐多岬から佐多街道を北上、維川滝の渓谷美を楽しんだ後、南国農菓舎デザートハウスで昼食、荒天神社に寄り、霧島神宮を目指す♪ 途中の道の駅『たるみず』から見える桜島も迫力だ♪ 仕事で来た事がある、国分から隼人へと走り。隼人からは県道60号を霧島神宮に向かう。 16時過ぎ、霧島神宮に到着。広大な駐車場に車を停め、お参り&御朱印も頂く♪ 霧島神宮は、僕の予想よりも小さかったか、とても美しい。御朱印もきれい (^^) 宿は、霧島観光ホテル♪ 和洋折衷で、全部で20畳くらいはあるかも。広くて快適。 晩御飯も10品ほどで豪華、お風呂も硫黄の匂いが強いが、体に良さそう♪ でも、部屋にゴキブリが出現したのには閉口したが (怒) ●5月30日 (快晴) 朝風呂後、朝食へ・・・僕は世界どこに行っても、朝はパンでないと落ち着かない。 なので、バッフェスタイルは助かる♪ バターロール、コーンフレーク、スクランブルエッグにベーコン&サラダ。満足♪ ホテルをチェックアウト。昨夜のゴキブリの件は、レセプションに報告しておいた! 先ずは、加治木に向かう。自宅お土産の『加治木饅頭』を買うのだ(笑) 国道223号線から、県道56号を50?ほど、ひたすら走る。 日豊本線の踏切手前にある『新道屋』で30個ほどまとめ買いする。人気のお店らしく、次々とお客さんがやって来る。無事に買えて良かった (^^)V 新道屋から10分ほどの『田中蒲鉾店』でさつま揚げを買う。鹿児島に来たらさつま揚げは外せない。これでお土産は完璧 (^^)V 次の目的地は『山田の凱旋門』。日露戦争の勝利を祝して建てられたものである♪ 行き方も含めて、口コミで詳細を説明しているので参照して下さいね m(__)m http://4travel.jp/domestic/area/kyushu/kagoshima/kirishima/aira/tips/12688807/ 凱旋門の後は、県道40号線を抜けて『蒲生』に向かう。 ここは、蒲生神社,有名な『大クス』,知覧ほどではないが『武家屋敷』がある♪ これ等は、数年前に見る機会があったので、今回はパス・・・山里の『漆』に向う!! しばらく走ると、山道に入る。普通車1台の道幅しかなく、対向車があると待避所で待つ・・・が対向車も来ない(笑) 緊張しながら、そんな山道を20分ほど走ると、突然森が切れ『漆』の集落に入る。 平家の落人伝説、本当かも知れない。昔はどんな所だったのだろう? 車を停めて、歩いてみる・・・本当に日本の原風景だと思う。 意外に世帯数は多い様に見えるが家々は、寄り添う様に建っている。家は瓦屋根だが、以前は茅葺きか藁葺きだったに違いない。そんな時に来たかった。 道端に地蔵様が鎮座している♪ 『田の神様』である。鹿児島各地で見られるらしいが『漆の田の神様』は、鹿児島で最古のものである。素朴だが、とても味わいのある表情だった♪ 何をする訳でもなくぶらぶら歩いたりしていたら、いつの間にか2時間が経過 !! 16時発のJAL650便・羽田行きに乗らなければならない。 「ラウンジに寄っている時間はないな・・・」と思いながら、車を走らせる。 良い旅だった・・・『また来よう!!』心から思った♪
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鹿児島県の旅行記 霧島神宮(参拝の栞) ... 5月29日 社務所で...
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鹿児島県の旅行記 『山田の凱旋門』-2 ... 5月30日 もう一枚...
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鹿児島県の旅行記 "凱旋門" の最寄りの南国交通・バス停 ... 5...
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鹿児島 ,2016年12月 「よかよか!南九州」で行く鹿児島の旅 その5
鹿児島県の地域
鹿児島
鹿児島県への旅行者
たんきち
鹿児島県の旅行時期
2016/12/15~" . 2016/12/17
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

2016年12月 「よかよか!南九州」で行く鹿児島の旅 その5

鹿児島旅行最終日。 帰りのフライトは15時前と早めのため、この日は仙巌園をじっくり見学することに。 それでも時間に少し余裕ができたことから前日同様若干の鉄分を加えた行程となりました。
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鹿児島県の旅行記 この日も5時に起きて鴨池公園まで行きジョギング。途中...
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鹿児島県の旅行記 朝食後部屋から見た桜島。ようやく明るくなってきました...
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鹿児島県の旅行記 フェリーが出航。今日も天気がよさそう。
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鹿児島県の旅行記 ようやく日の出。天気予報によれば日中は暖かくなるそう...
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鹿児島県の旅行記 8時頃チェックアウトし屋外の駐車場に向かいます。
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鹿児島県の旅行記 展望台から見た桜島。南の方向には開聞岳の姿も確認でき...
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鹿児島県の旅行記 仙巌園では昼食を取る予定。あまり早く着いても仕方ない...
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鹿児島県の旅行記 洞窟の横のお土産さんの横に立つ西郷さんの像。 こち...
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鹿児島県の旅行記 奥には洞窟があり、こちらは内部に入ることができます。
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鹿児島県の旅行記 洞窟内にも西郷さんが。
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鹿児島県の旅行記 城山を下りる途中にある「西郷洞窟」に立ち寄り。西郷隆...
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鹿児島県の旅行記 続いて「仙巌園」へ。「よかよか!クーポン」で入場+ラ...
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鹿児島県の旅行記 昼食まで2時間近くとたっぷりあるので、共通で入場でき...
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鹿児島県の旅行記 江戸時代末期に金属加工工場として使われた建物が保存さ...
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鹿児島県の旅行記 この建物は別館。企画展が開催されています。
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鹿児島県の旅行記 仙巌園の園内へ。入園して最初に目を引くのは鉄製150...
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鹿児島県の旅行記 反射炉跡。
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鹿児島県の旅行記 園内には早くも菜の花が。
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鹿児島県の旅行記 錫門。名前の通り屋根が錫で葺かれています。元の正門だ...
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鹿児島県の旅行記 御殿から見た庭園(建物の内部は撮影禁止)。 ツ...
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鹿児島県の旅行記 茶室ではお抹茶のサービスがあります。お茶菓子には島津...
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鹿児島県の旅行記 茶室内は撮影OK。
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鹿児島県の旅行記 茶室の横には中庭があります。
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鹿児島県の旅行記 中庭も撮影可能。
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鹿児島県の旅行記 錫門をくぐると、島津家最後の藩主島津忠義が暮らしてい...
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鹿児島県の旅行記 20分間の御殿ツアーを終え、広大な園内巡りを再開。
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鹿児島県の旅行記 紅葉が見られます。
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鹿児島県の旅行記 後半は坂や階段を上って山の方へ。
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鹿児島県の旅行記 江南竹林。竹の葉は青々としています。
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鹿児島県の旅行記 「迫ン太郎」という変わった名前の装置。
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鹿児島県の旅行記 流れる水が溜る毎に米をついて精米にする仕掛けだそうで...
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鹿児島県の旅行記 11時が近づいたので坂を下って行きます。 ネコ...
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鹿児島県の旅行記 正門。和服を着た観光大使のような女性がこの門をバック...
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鹿児島県の旅行記 11時の開店とともに「桜花亭」へ。2階の窓際の席から...
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鹿児島県の旅行記 食事のメニューは磯御膳。薩摩の伝統料理です。クーポン...
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鹿児島県の旅行記 2時間以上「仙巌園」を堪能した後は、鹿児島市内を離れ...
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鹿児島県の旅行記 駅に到着。
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鹿児島県の旅行記 まずは駅舎内の時刻表をチェック。タイミング良く8分ほ...
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鹿児島県の旅行記 駅猫のにゃん太郎は不在でした。
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鹿児島県の旅行記 無人駅なので列車が来るまで構内を見学。
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鹿児島県の旅行記 1903年の開業当初の駅舎が綺麗な状態で保存されてい...
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鹿児島県の旅行記 ホーム上の駅名板。
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鹿児島県の旅行記 ホームは結構長いです。
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鹿児島県の旅行記 ホームから見た待合室。
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鹿児島県の旅行記 旧待合室内の展示。
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鹿児島県の旅行記 以前使われていた駅名板でしょうか。
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鹿児島県の旅行記 写真のようなものも残されています。いつ頃まで使ってい...
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鹿児島県の旅行記 踏切の音が聞こえ列車が接近。
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鹿児島県の旅行記 JR九州では以前から見られるカラーのキハが到着。
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鹿児島県の旅行記 普通のローカル列車のためか観光目的と思われる方の乗降...
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鹿児島県の旅行記 1分ほど停車した後出発。
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鹿児島県の旅行記 ディーゼルエンジンの音が遠ざかると静けさが戻ってきま...
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鹿児島県の旅行記 最後に正面から駅舎をもう一度見て鹿児島空港へ向かいま...
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鹿児島県の旅行記 レンタカーを返却し空港へ。
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鹿児島県の旅行記 天気が良いので展望デッキに出てみました。
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鹿児島県の旅行記 展望デッキから見た霧島連山。
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鹿児島県の旅行記 空港ロビーはクリスマスムード。
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鹿児島県の旅行記 14時40分発のANA626便で羽田へ。
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鹿児島県の旅行記 定刻に出発。土曜日の早い時間帯からか機内は空席が目立...
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鹿児島県の旅行記 旅行中何度も見た桜島を機上から。
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鹿児島県の旅行記 霧島連山の上空を通過。
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鹿児島県の旅行記 宮崎県の青島を見て九州から離れます。 最後まで...
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鹿児島県の旅行記 池の中には八角形の窪みがあります。八角形は風水最強の...

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