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鹿児島県の旅行記【歴史・文化・芸術】

鹿児島県の旅行記
鹿児島 ,鹿児島の黒豚を目指して・・(^_^)v (その4・西郷隆盛洞窟)
鹿児島県の地域
鹿児島
鹿児島県への旅行者
カメちゃん
鹿児島県の旅行時期
2016/03/16~" . 2016/03/19
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

鹿児島の黒豚を目指して・・(^_^)v (その4・西郷隆盛洞窟)

愛知県から、新幹線ではるばる鹿児島まで来たのはよいけど、そうやってきた時に限って時間の流れというのは早いんですね。 誰かが、どこかで、鹿児島の時計を早回ししているんではないか?なんて疑いたくなりますよ。 見どころのたくさんある鹿児島に来るには、日の長い5月中頃に来るのが良いかもと思いました。 今日は新幹線に乗る前の僅かな時間に、「西郷隆盛洞窟」と言われるところを見に行こうと思っています。ホテルから歩いて15分くらいとのことですので、休み休み行けば何とか行けるでしょう。 鹿児島と言えば黒豚と桜島と、西郷さんですからね。 西郷さんが立てこもった洞窟とはどんなものなのか?鹿児島へ来たなら必見というものです。 もう一つのポイントである桜島へ行く暇はありませんでした。 私は半世紀ほど前に「定期観光バス」を利用して行ったことがあるのですけど、当家のカミさんはまだ桜島に行ったことがないのです。 未だに噴煙を吐いている桜島。ちょっと心配ですけど、次回こそはカミさんを連れて行きたいと思います。 鹿児島の印象を一言だけ言いますと、「観光だけでは終わらない」と言うことです。ギリシャとかローマのように、出来ればもういっぺん行って、もうちょっと探ってみたくなるんですね。 そういう点では、鹿児島は「面白いところ」だと思いますよ~(^O^) 写真は西郷隆盛洞窟です。
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鹿児島 ,第十章あみんちゅ歴史を学ぶ旅奄美群島喜界島?戦闘指揮所跡・海軍航空基地戦没者慰霊之碑・掩体壕編?
鹿児島県の地域
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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。
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2015/05/18~" . 2015/05/22
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

第十章あみんちゅ歴史を学ぶ旅奄美群島喜界島?戦闘指揮所跡・海軍航空基地戦没者慰霊之碑・掩体壕編?

第十章あみんちゅ歴史を学ぶ旅奄美群島喜界島?戦闘指揮所跡・海軍航空基地戦没者慰霊之碑・掩体壕編? 2014年7月に訪れた沖縄県摩文仁の平和祈念公園に端を発した第二次世界大戦における戦跡巡りの旅ですが、今回は鹿児島県第二弾として喜界島の戦争史跡である ?戦闘指揮所跡 ?海軍航空基地戦没者慰霊之碑 ?掩体壕 の三ヵ所を訪れました。 まず喜界島と戦争との結びつきですが、昭和6(1931)年に海軍の不時着用飛行場として、今の空港のある中里集落に喜界島飛行場が建設されたことから始まります。当時は勿論舗装もされていないものでした。そして第二次世界大戦が勃発し、次第に南方戦線へと補給輸送ルートの中継地としての役割を担うこととなります。日本を取り巻く戦況の悪化に伴い、昭和18(1943)年には島民を総動員して、東西南北各1,000mの滑走路を持つ全天候型の離発着ができる海軍喜界島飛行基地が作り上げられました。その後敗戦色濃厚となってきた昭和20(1945)年には、沖縄戦に向かう特攻機や戦闘機のための給油や整備を行う中継基地としての役割を担い、陸海軍問わずに戦闘機を受け入れ、そして送り出しました。 沖縄戦の終焉とされる昭和20(1945)年6月23日を過ぎてもその情報は伝わって来ず、連合国の前線基地への戦略爆撃は止まらず、結果8月15日のポツダム宣言受諾による日本の無条件降伏に至るまで、喜界島とその周辺区域では航空戦が行われていたというのが一般論とされているもののようです。しかし検証の度合いに疑問が残る説の中には、終戦当時には?情報網?が断絶しており、沖縄戦の終結とされる昭和20(1945)年6月23日の第32軍司令官牛島満中将の自決の情報すら伝わってきておらず、昭和20(1945)年8月15日の正午昭和天皇の玉音放送のもと、ポツダム宣言の受諾により日本が無条件降伏をした?史実?が、どうやら奄美を守備していた独立混成64旅団長を説得するものではなかったことと伝えているものもあることから、戦闘の終了は昭和20(1945)年8月15日?以降?説も、ひとことで?フィクション?とも言い切れないもののようにも思えてなりません。 そのため?事実上の終戦?ではなく?実際の終戦?が、昭和20(1945)年9月7日沖縄島越来村森根(現在の米軍嘉手納基地付近)にて、南西諸島に於ける降伏文書に第28師団長納見敏郎中将(宮古島)、第64混成旅団長高田利貞少将(奄美)、沖縄方面根拠地隊加藤唯雄少将(参謀長)の3名が調印した日にまで?ずれ込んだ?という説ことこそ、この奄美群島に於ける?本当の終戦?ではなかったのではないかと推測します。この話を裏付ける話は、奄美群島を守備していた独立混成64旅団長高田利貞少将が、停戦勧告に訪れた米軍の使者を迎えたときのエピソードとして書かれていることからも伺えます。 ただ沖縄戦でも、?戦闘の停止?=?武装解除?とは必ずしも一致しない事例が多く存在しています。事実奄美地区でも昭和20(1945)9月7日に旅団長は調印しているものの、米軍の進駐は奄美群島へは9月21日の徳之島にはじまり、喜界島に至っては10月3日となっています。これにより正式な?武装解除?が?終戦?を意味するのであれば、この?南西諸島?の終戦は、昭和20(1945)年10月3日となる解釈も根拠のないものではないようにも思います。 この降伏調印を持って奄美群島は、アメリカの軍政統治下に入ります。統治下での貧窮した生活に対する奄美群島島民の祖国復帰を願う気持ちは年々高まりをみせ、昭和26(1951)年2月19日から始まった署名活動は、最終的に14歳以上の実に99.8%に及びます。結果昭和28(1953)年8月8日のダレス声明による権利放棄を受けて、昭和28(1953)年12月25日に?日本へのクリスマスプレゼント?と揶揄されながらも復帰を果たします。沖縄の返還は昭和47(1972)年5月15日だったことも考えると、20年近く早かったことでした。 このあたりの話は、沖縄と奄美が置かれていた?政治的背景?を含めた違いによるもの、また?住民運動の高まり?に対する米軍基地等の?軍事施設数?の違いにより、統治下にしておくことへの?損得論?の絡みがあったこと等があったとされているようですが、やはり明確な確信をついている説ではないようにも思います。 日本復帰を果たした奄美群島でしたが、南国戦線への前線基地としての役割を担ったことは先述しました。しかし平和な時代になってしまうとただの?田舎?と捉えられてしまうことには例には漏れませんでした。海軍の不時着飛行場に端を発したこの喜界空港、全盛期には全天候型の滑走路を持つ大きなものだったことは想像できるにしても、終戦を迎えしばらくの間歴史の表舞台から消えていました。再び空港として息を吹き返したのは、昭和34(1959)年8月のことです。喜界町が運営する地方空港として、南北方向1,080mの非舗装の滑走路を持ち、鹿児島空港(旧鴨池空港)との便を持つ今では考えられない?奄美のハブ空港?としての復帰でした。その当時奄美大島には空港がなく(旧奄美空港は昭和39年開設)、当時奄美空港の設営に携わる方々は、喜界空港に降り立ち、?船?を利用して奄美へと渡って行かれたそうです。その後YS-11が就航していた時代もあり、再び全盛期を迎え、1968年12月28日には舗装された1,200mの滑走路を持つ空港になりました。昭和46年4月1日に喜界町から鹿児島県へと運営が変わって現在に至っています。 終戦時に運用されていた全国の多くの空港がほとんど原型を留めない程の爆撃を受けたことを考えれば、その跡地の利用をしている喜界空港は、ある意味?戦跡?ではないかとも思います。勿論その面影を残すことで、当時を知る方々には複雑な想いをされることもあるようには思うものの、その海軍航空隊喜界島基地の流れを持つ?歴史の生き証人?としての役割を恒久的に続けて行って貰いたいようにも思います。空港臨海公園にそびえ立つ?海軍航空基地戦没者慰霊之碑?があり、その慰霊之碑が見守る現喜界空港と滑走路という?絶妙の関係?、それがあってこそ、島に点在する?戦跡?の重要性が増すことは間違いのないことだと思います。いっときの?奄美のハブ空港?としての役割は終わったものの?歴史と謂れのある空港?として今後も輝き続けて欲しいと放浪癖のある観光客は思います。 記録の上では、最後に喜界飛行場から飛び立った特攻機は、昭和20(1945)年8月13日に5機と記されていると聞きました。それから70年の歳月が経とうとする今日、果たして人類は?戦争?という過ちに気付いているのでしょうか?いささか疑問にも思える日々の出来事に憤りを感じずにはいられません。 それでは個々の史跡をご紹介します。 ?戦闘指揮所跡【鹿児島県大島郡喜界町中里】 空港建物より歩いて2?3分位の距離にあり、Jネットレンタカー喜界空港店の隣にあります。駐車場がないため、先にレンタカーを借りてしまうと不便なので、車を借りる前に行かれることをお勧め致します。建物の形には特徴的なものがありますが、煙突のようにも見えなくはない部分は、?監視台?の役割をしていたのではないかと言われています。戦闘指揮所跡としては、全国で唯一現存する貴重なものになりますが、建てられた時期などは高度の軍機密事項だったようでわかってはいません。四ヶ所ある入口は、一ヶ所破壊されても出入りに困らないためとされています。 解説文が書いてある看板が、入口として入った方向と逆の場所に立っていることは少し?おや??と思われるかもしれません。しかし?わかりやすい場所?にあると、機密事項にする意味がないことを考えると納得がいくかも知れません。 戦闘指揮所跡という名の通り、大戦末期には?沖縄戦?へと向かう?特攻隊員?に最後の命令を出したところであります。建物内通路がH型になっており、向かい合う入口部分が高くなっており、中央部には日の当たらない部分に横につながる?暗室?のような空間があります。素人の目線では、ここに?裸電球ひとつ?あって机があり、そこに指揮官が座って指示を出したのではなかろうかと思います。 入口のひとつに?破壊?された部分が目につく箇所がありますが、これは飛行場が爆撃された際に破壊されたものだそうです。作りは非常に立派なものですが、中の鉄筋が剥き出しになっていることはその爆撃の凄まじさを物語っています。 この建物、少し浮いた場所に建っているようにも見えますが、個人の敷地内にあるとのことでした。戦争と言う?破壊?の時代が終わり、強制収用していた土地が返還され、使い勝手の悪いものは時代の流れとともに取り潰されてきた?戦跡?を取り巻く環境の中で、?保存?に尽力して頂けると言うことはありがたいという言葉でしか表現できません。その姿に感動したイチ観光客には?なにかできること?を探しても見つけることはできませんでした。もしできることがあるとすれば、多分唯一拙い言葉でそのありのままの姿を表現し、少しでも興味を持って頂きたいというメッセージの発信だけだと思ってこれを書いています。これが私にできる?戦闘指揮所跡?の見て聞いて感じたことになります。 ?掩体壕【鹿児島県大島郡喜界町湾】 ?掩体壕?とは、飛行機を爆撃から守るために作られた?格納庫?です。戦闘機を格納する必要があったこと、すなわち軍の飛行場があった場所ということになりますが、大戦末期の物資枯渇の時代に作られたものは、コンクリートの使用量を減らし、その分を?石ころ?などを混ぜ込んだ素人の目にも質が悪いことがわかる?粗悪品?が多々見られました。鉄筋など入れられるはずもなかったものは強度不足も明らかで、結果として本来の目的である爆撃から戦闘機を守れるはずもなく、米軍の執拗な戦略爆撃のもと、軽ジュラルミンの戦闘機に?重し?となる形で破壊されていくこととなりました。終戦後強制収用された土地に作られた?飛行場?は、その目的がなくなり、?農地?として民間に払い下げられました。その時代の流れの中で?俺体壕?としての役割を果たせずに、爆撃によって破壊されたものも多い中で、?作られた数?そのものが多いために、広大な敷地の中ポツンと取り残されたものも数多くありました。本来なら?歴史の生き証人?としての役割を担うことのできるもののようにも思いますが、戦闘機を守るために?カマボコ状?に作られた巨大な建造物は、思った以上に使い勝手が悪かったようで、その上?質?まで悪いものだということであれば、経年劣化とともに取り壊されていくものが多くなることは容易に想像がつく結果ではありました。 その中にあってここで紹介させて頂いた?掩体壕?は、鉄筋入りのしっかりしたつくりをしており、保存状態が良いことが特徴として挙げられます。旧海軍の航空基地があった喜界島には、こちらの他にも?質の悪い俺体壕?も現存していることを地元の方からの情報を得ています。残念ながら細かい場所までは聞いていなかったこと、そしてなにより?時間切れ?という理由のため行くことができませんでした。そのため単純に?ビジュアル?での比較を今回はすることができません。しかし今回訪れることができた?掩体壕?を見る限り、私有地である広場に忽然と現われるその様は、その区画に占める?広さ?をまざまざと思い知らされることになりました。今までの文献考察の中に出てきた?掩体壕?は、あくまで写真の中だけのものであって、数字の上の大きさだっただけに過ぎません。しかし目の前にあるものは、正しく70年前に?戦闘機?を格納したものであり、経年劣化はあるもののすこぶる保存状態も良いものでした。?使い勝手の悪さ?とことばで連呼するのは容易いことですが、どう使い辛いのかということは?実物?を目の当たりにして初めて感じることができるものではないでしょうか。世界に誇る?ゼロ戦?は、性能もさることながら?見た目の格好の良さ?もいわれています。単発機ゆえ前面にはプロペラが付いており、その後方にコクピット、そして主翼、そして尾翼といった構造になりますが、相対的に後方が狭くなっているため、俺体壕の建設時に必要とされる?場所?、そして?資材?のことを考えて、必要以上の広さを持たそうとしなかったこともあり、それが?同じ高さ?と?同じ幅?で作るより強度を保てる?力学上のメリット?を得られることを踏まえると、?再利用?など木っ端微塵も考えていない当時のことであれば、この?カマボコ型?に行き着いたことは容易に想像がつくことだと思います。掩体壕の?特異的な形状?ゆえ?保存といった目的を、ひとことでは簡単に片付けられる問題ではなく、その遂行には?計り知れない苦労?が伴うもののように思います。喜界島では数多くの戦争史跡が保存されていることは先述しましたが、この戦跡は?私有地?に残っています。あまりきれいな言い方ではありませんが、やはり?保存?と?維持?をするにもコストがかかるため、その費用負担等の?公的資金の投入?等で賄えるものは賄うとし、せっかくの目的遂行が?息切れ?状態になったことで?尻切れトンボ?状態になってしまった…。それだけにはならぬように願うことしかできない一観光客の想いではありました。 ?海軍航空基地戦没者慰霊之碑【鹿児島県大島郡喜界町中里:空港臨海公園内】 喜界島南西部に位置する喜界空港の海側に広がる?空港臨海公園?内に位置する?海軍航空基地戦没者慰霊之碑?は、旧海軍飛行場跡地をベースに作られた?喜界空港?を望む位置に平成6年に建立されました。先の大戦末期には、特攻機を含む南方戦線へと向かう飛行機の中継基地としての役割を果たし、数多くの兵士の方々がこの地を後にし、二度と戻ることのない旅路につかれました。 現在ではそのような過去などなにもなかったかのように、のんびりとした田舎の一ローカル空港として、鹿児島と奄美の空港へとそれぞれ3便ずつの日本エアコミューターのSAAB340B型機が飛んでいます。?喜界島飛行場?があったから?海軍航空基地戦没者慰霊之碑?があるという理由ではあるのですが、?着陸する航空機?を出迎え、?離陸する航空機?を見送る位置にその慰霊之碑があることは、戦争を知らない世代が?航空機?を武器として戦争を仕掛けようとすることに警鐘を鳴らしているように思えてなりません。実際の思惑はともかく、現飛行場を慰霊之碑が見守っていることには、?言葉では表現できない??訴え?を感じます。 今年戦後70年の節目の年を迎えました。日本を取り巻く国際情勢の複雑さは、年を追うごとに複雑にはなってきているようには思えます。しかし戦争という?破壊?と?憎しみ? しか生み出さない?解決法?を選択することは、?大多数の犠牲?を払った?軍国主義? への?逆戻り?でしかありません。先の大戦に於いて、自らのひとつしかない命を懸けて家族は勿論、未来将来に渡る人々のことを想って逝かれた兵士の方々の崇高な考えを無下にすることは許されざることだと思います。言い方は悪いですが、どんなことをしても戦死された兵士の方々が生き返る訳ではありません。しかしその想いを国民全てが再認識し、頭をひねり、平和解決の糸口を見つけていくことこそが急務ではないかと思います。 ?まとめ?と言う程のことではありませんが、今回列挙した事柄は戦争を知らない世代の一観光客が偉そうに言うことではないことなのかも知れません。しかし一昨年公開の映画?永遠の0?によって、?特攻隊?というものがクローズアップされ、その結果?特攻隊関連?の資料館である?万世??知覧??鹿屋?への来客数が増えたことは以前にも述べたことがありました。勿論?関心を持った?、そして?訪れた?だけでは、本来の目的を達成したとは言えません。しかしこの?戦争?という暗黒の時代を今の時代へと伝える戦跡の多くは、?埋もれている?要素が多いように思えてなりません。その一方戦場となった場所では不発弾の問題など、今尚日常生活に影響をきたすような問題を数多く抱えている事実を踏まえると、部外者が安易に?戦跡?として周知を計り、関心を引こうとする考え方に?嫌悪感?を抱かれてしまうことも懸念しないといけないのでとも思います。見た目ではなく?本当の生活の質の向上?につながる?開発?であるならば、それが優先課題となって当然のことでしょうし、そういう思いも私自身が持っていることも事実です。確かに?保存?と?開発?という両端の選択肢を、?折衷案?を用いることによって、両者を並立させることは大変難しいことだとは思います。しかしそこに?共存を考える接点?を追求することは本当にできないことなのでしょうか。その答えを出すことは、?一部外者?としての私の立場ではできないことであり、今後も出来るようにはならないとも思っています。なかなか上手く言うことができないのですが、?多数意見?だけに捉われない、?過去と現在の在り方?を問うことは必要な時期に差し掛かってきているように思います。 コロンブスの卵状態の話ではあるのですが、戦跡保存に尽力されている喜界島であっても戦跡の地点登録は、カーナビ上はされていません。運良くレンタカー利用者が過去に行ったことがあって、偶然履歴に出てくるというケースはともかく、頂いた地図をもとにして現在地をナビで表示させながら場所を特定していくことは、思いのほか手間のかかる作業でした。勿論そのような苦労があってこそたどり着ける場所だからこそ感じる?ありがたみ?は旅の醍醐味のひとつであることには違いありません。しかし効率が良いものとは到底思えるものではなく、結果?見て回ることができる?件数は限られてしまう上に、ゆっくり時間をかけることは不可能なこととなってしまいます。 このご時世スマートフォンという便利なものはありますが、その?ナビ機能?を使うにしても、目的地の?座標打ち?をしないと役目を果たしません。ようは?データベース化?をする必要がある訳ですが、これには?目的地?の数だけの?地点情報?が必要となるため、そう簡単にはいかないように思います。端的に言うと?デジタル戦跡マップ?の作成になりますが、営利目的の会社が作るためにその内容が充実していることを考えると、?非営利目的?でどこまでのものができるかと言うと、たいしたものはできないように思います。しかし?できないからやらない?にしてしまうと前進することは絶対にありません。ダメダメ続きになってしまい、論じている内容にも自信が持てなくなりそうですが、これがもし作ることができるのであれば、今現在話題に取り上げられることもなく、時代の流れに埋もれている戦跡が陽の目を浴びて、新たな歴史の生き証人として息を吹き返すことはおおいに期待できるのではないでしょうか。 戦後70年の節目の年、なにかやってもやらなくても時は過ぎて行きます。実現できるか否かは?結果論?であり、行動を起こすか起こさないかの?過程論?は論ずるより生むが易しではないかと思います。 喜界島の方々は、皆さんあたたかく観光客を受け容れてくださり、口を揃えて?何もない島?を強調されます。しかし?何もない島?に偽りありで、ホントは?宝の島?だと私は思っています。勿論?どのように捉える?かは個人の自由ではありますが、平和そのもののLOCAL ISLANDに見え隠れする70年前の遺構に触れ、今の時代を見つめ直す機会を持つことは、?生きた平和教育?そのもののようにも思えます。 長文にお付き合い頂きありがとうございました。これで【通番009】あみんちゅ戦跡を巡る旅鹿児島その弐?喜界島:戦闘指揮所跡・海軍航空基地戦没者慰霊之碑・掩体壕編?を終わります。 ※なお先述しました?座標データ?収集のため、写真の注釈にTIFFのデータを貼り付けています。 以下興味が湧いたらご覧下さい。 ?戦跡を巡る旅シリーズ? 以下興味が湧いたらご覧下さい。 ?戦跡を巡る旅シリーズ? 【通番001】さんふらわあで航(い)く鹿児島陸軍特攻戦跡を訪ねる旅?万世・知覧編? http://4travel.jp/travelogue/10933877 【通番002】さんふらわあで航(い)く鹿児島海軍特攻戦跡を巡る旅?笠之原・串良・鹿屋編? http://4travel.jp/travelogue/10933914 【通番003】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅沖縄壱之??豊見城・旧海軍司令部壕編? http://4travel.jp/travelogue/10963283 【通番004】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅沖縄壱之??宜野湾・嘉数(かかず)高台公園《私見》沖縄戦解釈編? http://4travel.jp/travelogue/10981023 【通番005】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅滋賀壱之??滋賀県平和祈念館・陸軍八日市飛行場跡編? http://4travel.jp/travelogue/10974454 【通番006】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅福岡壱之??碓井平和祈念館編? http://4travel.jp/travelogue/10990537 【通番007】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅福岡壱之??武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館)編? http://4travel.jp/travelogue/10990699 【通番008】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅福岡壱之??筑前町立大刀洗平和記念館編? http://4travel.jp/travelogue/10990539 ※未完成 【通番010】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅沖縄壱之??石垣島・八重山平和祈念会館とバンナ公園編? http://4travel.jp/travelogue/10964521
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鹿児島県の旅行記 海軍航空基地戦没者慰霊之碑、その?。
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鹿児島県の旅行記 現在の喜界空港は、1日6便の双発ターボプロップ機が離...
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鹿児島県の旅行記 海軍航空基地戦没者慰霊之碑のすぐ後ろには、スギラビー...
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鹿児島県の旅行記 『平和』の二文字以外思いつかない風景のスギラビーチ。...
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鹿児島県の旅行記 同じく『平和』の二文字以外思いつかない風景。 緯度...
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鹿児島県の旅行記 銅像を海側から撮ってみました。 緯度:28.3...
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鹿児島県の旅行記 掩体壕(えんたいごう) 『掩体壕』とは、戦闘機を敵...
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鹿児島県の旅行記 掩体壕、全景。
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鹿児島県の旅行記 掩体壕、入口。
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鹿児島県の旅行記 掩体壕、奥行き。
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鹿児島県の旅行記 戦闘指揮所跡の平面図を描いてみました。
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鹿児島 ,【鹿児島県】 南さつま市秋目浦 * 鑑真 日本上陸の地を 旅する
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2013/06/02~" . 2013/06/02
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

【鹿児島県】 南さつま市秋目浦 * 鑑真 日本上陸の地を 旅する

         お前立ち 御目の彼方 瓊花咲く 鑑真ゆかりの唐招提寺で、鑑真和上の故郷の揚州から送られた『瓊花』(けいか)という花の開花に合わせ、この期間だけ公開するという話を聞きつけたのが、黄金周の直前であった。   鑑真迷の僕は、大阪の友人に声を掛けて、ある日の朝早くに、新幹線で乗り継いで奈良に向かった。幸に、午前中の早い時間であったので、しかも平日の所為もあり、見学者は極めて少なく、友人と二人で、南大門から入り、一番奥にある御影堂の庭に咲く、満開の瓊花の辺りで、花を愛でながらも、耳は友の老いらくの恋物語を聞いていたのだが。   実は、僕のこの『彷徨人旅行記』の表題写真は、以前から『瓊花』の花の写真であるが、それは初めてこの花を見た蘇州で撮ったものである。中国での旅の途中に、この花をこれまでも、何カ所かで見ているが、鑑真さん縁の花は、やはり苦労の末たどり着いた日本で見るのが一入だと、御影堂の満開の瓊花を見ながら、一人ほくそ笑んでいたのである。   そして、唐招提寺から戻るや、旅行記の表題写真を、唐招提寺で撮った『瓊花』の花の写真に替えたのである。同時に、鑑真和上の日本上陸の地を一度訪ねなければという思いに駆られていたのである。   江蘇省の「張家港」は、唐の時代には「黄泗浦」という長江の内港であったところである。753年に鑑真和上は、ここから六度目の正直で、日本に渡っている。     五度の失敗にもめげず、日本に行くことを諦めようとしない鑑真和上は、時の皇帝の許可をも得ず、夜陰に乗じ、揚州から小舟で「黄泗浦」まで、長江(揚子江)を下り、そこで故国扶桑(日本)に帰国する遣唐使の船に乗り換えている。   11月15日の夜半、折からの月明かりを利して帰国しようとした四艘の遣唐使船には、『あまの原、ふりさけみれば春日がなる、三笠の山に、いでし月かも』と、異国の地で故郷を思う心を詠んだ、在唐36年の阿倍仲麻呂が、大使藤原清河と一緒の第一船に乗り込んでいた。   井上靖の著作『天平の甍』によると、出帆した四艘の遣唐使船のうち、第三船(副使 吉備真備)は,六日後の20日に、流されて沖縄に到着している。第一船と、第二船(鑑真一行)は、それよりも一日後の21日に到着した。然し、第四船は、この間に、行方知れずとなっている。   沖縄で半月ほど滞在して、再び日本に向かって出発した第一船と第二船は、翌日に、屋久島に到着している。   十日後に、屋久島を出るが、巨浪と戦うこと四日間、22日の午後、第二船は、薩摩半島の西南部の漁村である薩摩の国、阿多那秋妻屋浦に到着した。   しかし阿倍仲麻呂の乗った第一船は,流され流されて、ベトナムに漂着し、友人白楽天も生死を案じ、彼の消息を憂う漢詩を詠んでいる。安倍の仲麻呂は、三年ほど掛け長安に戻ることはできたが、故国日本へは結局戻ることは出来なかった。   若き日の大阪時代の同僚から、恒例の交流ゴルフを6月に鹿児島で開催するとの案内状が届いた。早速出席の返事を送るや、僕はこの機会に鑑真和上の日本上陸の地に行くべき準備を始めた。   友人との交流ゴルフの翌日、JR鹿児島駅の裏手にあるレンタカー店で、車を借り、福岡の友人を水先案内人に仕立て、指宿スカイラインを南に向かった。生憎当日は曇り空、維持管理の悪い道路を車で進めども,車にはほとんど出合わない。進めども周りに見える風景は、曇り空に加え、どことなく寂れ、うらぶれた雰囲気である。川辺インターから一般国道R225を走り、知覧を通り、枕崎に入る。合流する国道R225を右手に取り、枕崎港を左手に見て進むと、間もなく花渡川に差し掛かった。前方に江戸時代の灯台のような建物が見えてきた。【明治蔵】という芋焼酎の【白波】の醸造元の施設である。焼酎づくりの技術集団として知られる黒瀬杜氏の伝統技術を文化的遺産として、現代に保存・継承していくための工場兼見学施設であるが、焼酎好きな僕は、当然に休憩方々見学することにした。   鑑真和上が日本に上陸した地点は、薩摩半島の西南部の漁村である薩摩の国、【阿多那秋妻屋浦】と言われている。現在の(《南さつま市坊津》である。この地は、昔からの鄙びた漁村だとばかり思っていたが、その歴史を見れば、古代から海上交通要衝の地として栄えており、中世には島津家支配下にあり、中国(明)・琉球との貿易により栄え、倭寇や遣明船の寄港地でもあったようだ。古い本には、坊津は、安濃津(三重県津市)、博多津(福岡市)と並ぶ「日本三大津」(主要な港)と呼ばれてもいたと書いてある。   江戸時代に入り、薩摩藩の密貿易(清や琉球との中継貿易)の地として引き続き栄えていたが、幕府による密貿易の取締り強化により衰退したと言われている。 その後、明治から昭和にかけては、鰹漁業や鰹製造の一大集積地として、昭和初年に隣りの枕崎市に近代的な港が完成するまでは、その繁栄が続いていた。   この町の資料を見ると、古(いにしえ)の貿易拠点として歴史に名を刻んだ港町『坊津』をはじめ、日本に仏教の戒律を伝えた鑑真和上上陸の地、更には「吾田(あた)の長屋の笠峡(かささ)の埼(みさき)」と、古事記や日本書紀にも記された山幸彦・海幸彦、ニニギノミコト・コノハナサクヤヒメが活躍した神話の里でもあると、書いてはあるものの、僕の関心は、ただひたすら鑑真さんだけである。   枕崎港に沿って国道R226を更に西に向かい、やがて南さつま市に入ると、道は次第に上り坂となってきた。左手谷側に、海岸線が時々見え始めてきたが、間もなく、遠くまで見えてきた。【坊トンネル】を貫けると、道は次第に北に向きを変え始め、間もなく【歴史資料センター・輝津館】の建物が見えてきた。そこでこの町の様子を聞こうと車を止めた。地元の人が数人駐車場近くにいたので、道などを尋ねると、前方に連なる三重の山なみを指しながら、あの三つ目の山の向こう側の入り江が、坊津の秋目浦であると教えてくれた。         再び、海岸線を北に向かった。東シナ海に面した坊津地区は、薩摩半島西南端に位置する、断崖と小さな入り江が続くリアス式海岸に沿って広がっている。国道はその海岸線に沿って走っているが、海に突き出た断崖に向かって上っていくかと思えば、今度は山側に向きを変え、内陸部に食い込んだ入り江に向かい一気に下がる地勢が続いており、坊津へは、まさに近くて遠き道のりである。   更に絶景を望む海岸線を走り続けると、やがて坊浦を見下ろす高台にたどり着いた。そこから海を眺めると、穏やかな波間のはるか彼方に、水平線が見えたが、この海の西850キロ先に、鑑真さんが、故郷揚州から下ってきた長江の東シナ海への河口がある筈である。この地に立てば、鑑真さんが命を賭け、六度に渡る挑戦までして来日した意味とその価値が、だんだんと分かるような気がしてきたのである。   手前眼下を見れば、目的地である坊津秋目浦の入江が一望に見え、そこには対峙するように鋭く尖った雌雄二つの岩である【双剣石】がそそり立っている。山側の少し上がった辺りに、海に向かって建っている【鑑真記念館】が見えていた。   間も無く、坊津の【秋目浦】に到着した。   観光宣伝文句を並べれば、白い砂浜、青く透き通った海と緑の断崖が織り成す海岸美、ことに水平線はるかに沈む夕陽は言葉に尽くせないものがあり、神秘的な色彩は、しばし見とれる程の美しさである、ということになるのだろうか。   苦労のあまり盲目となりながらも、天平勝宝5年(西暦753年)12月20日、聖武天皇の招きによって、我が国律宗の始祖、唐僧鑑真が6回目に漸く日本への渡航に成功したのである。 日本上陸の第一歩が記された秋目浦は、海側は、沖秋目島【ピロウ島】を抱いた秋目湾が広がり、山側には、亀ヶ丘の急勾配の山に囲まれた平地の少ない海岸線に沿った集落地である。亀ヶ丘の裾の辺りの斜面に『鑑真記念館』が、はるか故郷の中国を眺めるように建てられている。   僕は,記念館の辺りを歩きながら、時には、立ち止まり、海を眺めたり、山を見上げたりしながら、海南島から広東省、江西省、福建省、浙江省そして鑑真さんの故郷である江蘇省などを、鑑真和上を追っ駆けてきたこれまでの旅の日々を思い返し、実際には見ることは出来ない地平線の彼方の中国大陸の今を思い浮かべていたのである。   記念館の庭の周りには参観した名士たちが記念植樹された木々が植えられており、僕はその中に、まだ小さな『瓊花』の木を見つけた。何となく弱弱しく感じられるこの木が、無事育ち、鮮やかな花が咲くことを、今はただひたすら祈るだけである。   記念館を後に、秋目漁港近くまで下りてきた。T字路の交差で民宿の看板を掲げた店を見つけたが、その店の名前が『鑑真荘』であった。昼食には、些か時間外であったのか、中を覗くと誰もいなかった。大きな声で呼んでみると、愛想はないが、元気な若い女性が出てきた。昼食は刺身定食しかないという。今が旬のキビナゴを中心とした刺身である。しかも前が海、当然に新鮮で旨いのであろうと思うや、早速注文をする。調理人はこの店の主人であろうか、調理後僕の前に座り、いろいろと話しを始めてきた。このあたりの漁師は、今はキビナゴ漁のシーズン、午前1時ごろに、この入り江に船を出し、朝7時ごろ港に戻ってくる。それで一日20万円から30万円の水揚げだという。でも昼は寝ているので、お金を使うこともなさそうだと、笑っていたが。車の運転があるので、残念ながら、この店が販売している芋焼酎『鑑真』は飲めなかったのだが。   その後 鑑真さん一行は、12月26日に大宰府に到着したが、遣唐使一行の筑紫の大宰府への正式な帰朝報告は、翌754年の正月11日にしている。ここから僅か6日間で、福岡県の大宰府に到着していると言うことは,恐らく陸伝いに海路で、大宰府に向かったのであろう。   鑑真および日本人僧の普照一行が、大阪の難波に到着したのは、754年の2月1日であり、宿舎である東大寺への到着は、2月8日であった。    その後、天平宝字3年(759年)8月に、唐招提寺が完成している。           忘れ得ぬ 想い愛しや 鑑真忌        実は、この旅から戻って三日後の6月5日、唐招提寺で【国宝鑑真和上坐像】の「お身代わり」として制作された『お前立ち像』に魂を入れる開眼法要が行われている。それを聞いて、独りよがりか、僕は何かの縁を強く感じたのである。   天平宝字7年(763年)陰暦5月6日に、鑑真和上は76歳で遷化されている。(唐招提寺では、『鑑真忌』を『開山忌』と呼び、毎年6月6日に執り行っている。)                                    
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鹿児島県の旅行記 南さつま市の地図
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鹿児島県の旅行記 国道R226
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鹿児島県の旅行記 南さつま市内の海岸を走る国道R226からの景色
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鹿児島県の旅行記 南さつま市坊津に向かう風景
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鹿児島県の旅行記 南さつま市坊津に向かう風景
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鹿児島県の旅行記 南さつま市 鑑真記念館
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鹿児島県の旅行記 南さつま市 鑑真記念館
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鹿児島県の旅行記 南さつま市 鑑真記念館
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鹿児島県の旅行記 南さつま市 鑑真記念館
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鹿児島県の旅行記 南さつま市 鑑真記念館
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鹿児島県の旅行記 南さつま市坊津、 鑑真記念館から秋目浦を眺める
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鹿児島県の旅行記 南さつま市坊津 鑑真記念館から秋目浦を眺める
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鹿児島県の旅行記 南さつま市 鑑真記念館
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鹿児島県の旅行記 南さつま市 鑑真記念館
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鹿児島県の旅行記 南さつま市 鑑真記念館近くに植えられた『瓊花』 ...
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鹿児島県の旅行記 南さつま市坊津 民宿『鑑真荘』
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鹿児島県の旅行記 民宿『鑑真荘』での、時間外の昼食
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鹿児島県の旅行記  民宿『鑑真荘』のオリジナル銘柄の焼酎『鑑真』
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鹿児島県の旅行記 民宿『鑑真荘』での、時間外の昼食   今が旬の...
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鹿児島県の旅行記  民宿『鑑真荘』での、時間外の昼食
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鹿児島県の旅行記 南さつま市坊津の海岸線 
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鹿児島県の旅行記 奈良 唐招提寺
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鹿児島県の旅行記 奈良 唐招提寺の『瓊花』
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鹿児島県の旅行記 奈良 唐招提寺 芭蕉の句碑     「若葉し...
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鹿児島県の旅行記 奈良 唐招提寺の『瓊花』
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鹿児島 ,2016年12月 「よかよか!南九州」で鹿児島へ その5(仙巌園さんぽ)
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2016/12/15~" . 2016/12/17
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

2016年12月 「よかよか!南九州」で鹿児島へ その5(仙巌園さんぽ)

鹿児島旅行最終日。 帰りのフライトは15時前と早めのため、この日は仙巌園をじっくり見学することに。 それでも時間に少し余裕ができたことから前日同様若干の鉄分を加えた行程となりました。
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鹿児島県の旅行記 この日も5時に起きて鴨池公園まで行きジョギング。途中...
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鹿児島県の旅行記 朝食後部屋から見た桜島。ようやく明るくなってきました...
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鹿児島県の旅行記 フェリーが出航。今日も天気がよさそう。
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鹿児島県の旅行記 ようやく日の出。天気予報によれば日中は暖かくなるそう...
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鹿児島県の旅行記 8時頃チェックアウトし屋外の駐車場に向かいます。
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鹿児島県の旅行記 展望台から見た桜島。南の方向には開聞岳の姿も確認でき...
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鹿児島県の旅行記 仙巌園では昼食を取る予定。あまり早く着いても仕方ない...
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鹿児島県の旅行記 洞窟の横のお土産さんの横に立つ西郷さんの像。 こち...
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鹿児島県の旅行記 奥には洞窟があり、こちらは内部に入ることができます。
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鹿児島県の旅行記 洞窟内にも西郷さんが。
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鹿児島県の旅行記 城山を下りる途中にある「西郷洞窟」に立ち寄り。西郷隆...
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鹿児島県の旅行記 続いて「仙巌園」へ。「よかよか!クーポン」で入場+ラ...
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鹿児島県の旅行記 昼食まで2時間近くとたっぷりあるので、共通で入場でき...
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鹿児島県の旅行記 江戸時代末期に金属加工工場として使われた建物が保存さ...
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鹿児島県の旅行記 この建物は別館。企画展が開催されています。
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鹿児島県の旅行記 仙巌園の園内へ。入園して最初に目を引くのは鉄製150...
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鹿児島県の旅行記 反射炉跡。
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鹿児島県の旅行記 園内には早くも菜の花が。
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鹿児島県の旅行記 錫門。名前の通り屋根が錫で葺かれています。元の正門だ...
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鹿児島県の旅行記 御殿から見た庭園(建物の内部は撮影禁止)。 ツ...
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鹿児島県の旅行記 茶室ではお抹茶のサービスがあります。お茶菓子には島津...
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鹿児島県の旅行記 茶室内は撮影OK。
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鹿児島県の旅行記 茶室の横には中庭があります。
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鹿児島県の旅行記 中庭も撮影可能。
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鹿児島県の旅行記 錫門をくぐると、島津家最後の藩主島津忠義が暮らしてい...
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鹿児島県の旅行記 20分間の御殿ツアーを終え、広大な園内巡りを再開。
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鹿児島県の旅行記 紅葉が見られます。
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鹿児島県の旅行記 後半は坂や階段を上って山の方へ。
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鹿児島県の旅行記 江南竹林。竹の葉は青々としています。
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鹿児島県の旅行記 「迫ン太郎」という変わった名前の装置。
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鹿児島県の旅行記 流れる水が溜る毎に米をついて精米にする仕掛けだそうで...
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鹿児島県の旅行記 11時が近づいたので坂を下って行きます。 ネコ...
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鹿児島県の旅行記 正門。和服を着た観光大使のような女性がこの門をバック...
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鹿児島県の旅行記 11時の開店とともに「桜花亭」へ。2階の窓際の席から...
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鹿児島県の旅行記 食事のメニューは磯御膳。薩摩の伝統料理です。クーポン...
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鹿児島県の旅行記 2時間以上「仙巌園」を堪能した後は、鹿児島市内を離れ...
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鹿児島県の旅行記 駅に到着。
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鹿児島県の旅行記 まずは駅舎内の時刻表をチェック。タイミング良く8分ほ...
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鹿児島県の旅行記 駅猫のにゃん太郎は不在でした。
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鹿児島県の旅行記 無人駅なので列車が来るまで構内を見学。
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鹿児島県の旅行記 1903年の開業当初の駅舎が綺麗な状態で保存されてい...
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鹿児島県の旅行記 ホーム上の駅名板。
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鹿児島県の旅行記 ホームは結構長いです。
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鹿児島県の旅行記 ホームから見た待合室。
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鹿児島県の旅行記 旧待合室内の展示。
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鹿児島県の旅行記 以前使われていた駅名板でしょうか。
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鹿児島県の旅行記 写真のようなものも残されています。いつ頃まで使ってい...
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鹿児島県の旅行記 踏切の音が聞こえ列車が接近。
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鹿児島県の旅行記 JR九州では以前から見られるカラーのキハが到着。
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鹿児島県の旅行記 普通のローカル列車のためか観光目的と思われる方の乗降...
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鹿児島県の旅行記 1分ほど停車した後出発。
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鹿児島県の旅行記 ディーゼルエンジンの音が遠ざかると静けさが戻ってきま...
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鹿児島県の旅行記 最後に正面から駅舎をもう一度見て鹿児島空港へ向かいま...
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鹿児島県の旅行記 レンタカーを返却し空港へ。
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鹿児島県の旅行記 天気が良いので展望デッキに出てみました。
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鹿児島県の旅行記 展望デッキから見た霧島連山。
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鹿児島県の旅行記 空港ロビーはクリスマスムード。
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鹿児島県の旅行記 14時40分発のANA626便で羽田へ。
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鹿児島県の旅行記 定刻に出発。土曜日の早い時間帯からか機内は空席が目立...
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鹿児島県の旅行記 旅行中何度も見た桜島を機上から。
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鹿児島県の旅行記 霧島連山の上空を通過。
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鹿児島県の旅行記 宮崎県の青島を見て九州から離れます。 最後まで...
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鹿児島県の旅行記 池の中には八角形の窪みがあります。八角形は風水最強の...
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鹿児島 ,2016年12月 「よかよか!南九州」で鹿児島へ その1(霧島・国分方面)
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2016/12/15~" . 2016/12/17
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2016年12月 「よかよか!南九州」で鹿児島へ その1(霧島・国分方面)

今年の冬もANAスカイホリデーのツアーで九州を旅行しました。 「よかよか!南九州」という企画で2泊3日の鹿児島の旅へ。 このツアーは「よこよか!クーポン」が1枚付いていて、数々のグルメメニューから一つを選択できます。クーポンは一人2枚まで追加購入が可能ということで(1枚500円)、3回の昼食に充てることにしました(但しツアー申込時に使う場所の指定が必要)。 また1日500円でレンタカーが利用できるなどの特典も。 1日目は鹿児島空港から霧島神宮、国分、垂水を通り桜島、そしてフェリーで鹿児島市内に渡るルートを辿りました。 (2016年12月31日編集 ⇒ 旅行1日目を2分割)
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鹿児島県の旅行記 自宅を4時半前に出て羽田の第二ターミナルに到着したの...
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鹿児島県の旅行記 ソラシドエアの鹿児島行71便に搭乗。ほぼ定刻に出発。
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鹿児島県の旅行記 座席は右側の前方。まずまずの天候で富士山が綺麗に見え...
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鹿児島県の旅行記 アルプスの山々を眺めているうちに機内サービスが開始。
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鹿児島県の旅行記 3時半の朝食から5時間近くが経過。空港のコンビニで買...
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鹿児島県の旅行記 目を覚ますと高知県西側の上空まで来ていました。九州は...
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鹿児島県の旅行記 着陸体制に。鹿児島空港の天候は曇りとのこと。太平洋側...
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鹿児島県の旅行記 ほぼ定刻に鹿児島空港到着。霧島温泉大使のアヒル隊長が...
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鹿児島県の旅行記 レンタカーの送迎バス乗り場に向かう途中にあった天然温...
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鹿児島県の旅行記 レンタカーを借り霧島神宮へ。途中のコンビニで飲み物等...
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鹿児島県の旅行記 パワースポットの霧島神宮に到着。駐車場から境内へ向か...
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鹿児島県の旅行記 三の鳥居の手前にある「さざれ石」。国歌に詠まれていま...
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鹿児島県の旅行記 三の鳥居をくぐって本殿へ。
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鹿児島県の旅行記 よく写真で見る建物が目の前に。 半月後のお正月の人...
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鹿児島県の旅行記 「手水舎」。今日はとても寒いので水に触れるのが辛い。
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鹿児島県の旅行記 本殿屋根下の彫刻が見事です。 本殿では今回の旅の安...
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鹿児島県の旅行記 本殿の近くに聳える御神木のスギの木。
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鹿児島県の旅行記 境内の展望所から見た風景。雨はすぐに上がり、少し晴れ...
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鹿児島県の旅行記 参拝の後は国分方面へ向かい昼食とします。 「よかよ...
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鹿児島県の旅行記 鹿児島といえば黒豚!「黒豚しゃぶ」のコーズを頂きます...
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鹿児島県の旅行記 黒豚のカツも出てきます。
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鹿児島県の旅行記 食事の黒豚ぞうすい。黒豚づくしに満腹となり、そばは少...
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鹿児島県の旅行記 デザートのプリン(バナナ風味) このコースはラ...
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鹿児島県の旅行記 食事の後は国分の市街地から20分ほどで行ける「上野原...
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鹿児島県の旅行記 まずは屋内施設の「縄文の森展示館」に入りました(入場...
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鹿児島県の旅行記 館内は特別展を除き写真撮影可でした(フラッシュは不可...
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鹿児島県の旅行記 太古の人々が食べていたと思われる食事。現在とあまり変...
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鹿児島県の旅行記 出土された土器が所狭しと並んでいます。
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鹿児島県の旅行記 入場記念で頂いたクリアファイル。 旅行中パンフレッ...
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鹿児島県の旅行記 橋を渡って体験エリアへ移動。天気が良くなり霧島連山が...
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鹿児島県の旅行記 体験エリアには縄文時代から古墳時代にかけての竪穴住居...
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鹿児島県の旅行記 体験学習館を覗いてみます。ここではアクセサリー作り、...
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鹿児島県の旅行記 再び見学エリアへ。このエリアにも9500年前のムラを...
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鹿児島県の旅行記 竪穴住居跡。
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鹿児島県の旅行記 最後に地層観察館へ。
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鹿児島県の旅行記 地層観察館の入り口。
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鹿児島県の旅行記 中では15層に渡る地層が観察できます。
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鹿児島県の旅行記 一部は学術的に解明されていない層もあるとのこと。
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鹿児島県の旅行記 12月も半ばを過ぎましたが紅葉がまだ見頃です。体が冷...
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鹿児島県の旅行記 園内は広大過ぎてとても廻り切れない。この日は他に訪れ...
鹿児島県の旅行記
鹿児島 ,数年ぶりに鹿児島へ
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2017/01/12~" . 2017/01/13
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数年ぶりに鹿児島へ

数年ぶりに鹿児島の旅をしました。自分の旅はいつも、観光プラスグルメの旅で、郷土料理の黒豚と鰻を食べるのを楽しみに、有名な白熊をも、食しました。
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鹿児島県の旅行記 JALで鹿児島へ
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鹿児島県の旅行記 機内で、パイロットから「眼下に富士山が見られます”の...
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鹿児島県の旅行記 鹿児島空港へ着きました。
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鹿児島県の旅行記 鹿児島中央駅
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鹿児島県の旅行記 アミュプラザ・観覧車
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鹿児島県の旅行記 西郷隆盛像
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鹿児島県の旅行記 島津斉彬を祀る照国神社
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鹿児島県の旅行記 照国神社
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鹿児島県の旅行記 天璋院篤姫像
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鹿児島県の旅行記 鶴丸城跡・石垣工事中
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鹿児島県の旅行記 鹿児島繁華街・天文館
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鹿児島県の旅行記 鹿児島市電、1日乗車券で乗り降り自由
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鹿児島県の旅行記 天文館から続くアーケイド街
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鹿児島県の旅行記 鹿児島市内を網羅する市営バス
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鹿児島県の旅行記 錦江湾から望む桜島
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鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(31)霧島の夕暮れ。
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2016/12/16~" . 2016/12/18
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

薩摩・大隅の旅(31)霧島の夕暮れ。

記憶などたわいないもので、10数年前、この神宮へ初めて来た時に受けた感動は今は大分薄れ、それは二度目の訪問だからやむを得ないものと諦めも付いたが、しかし、それにしても社殿以外のその他の詳細についても殆ど記憶の中にない。先刻来た時の夕日に染まった長い参道なども、果たして以前この様な山道を歩いたのか、という程度のおぼろげなものだ。境内の大楠をしげしげ眺めるが、殆ど記憶に残っていなかった。記憶を焼き付けると言っても、当てにならないものだが、それでも、大鳥居から最後にもう一度社殿に参拝し、宮を後にした。 車寄せの辺りには天孫降臨の石碑があったり、徳富蘇峰の跋文などもあったが、以前には全く気が付かなかった。この周辺は霧島温泉郷と言って、温泉で有名な場所だが、駐車場の手前には源泉の湧き出る池などもあったが、この15年の間に増築されたのか・・。或いは源泉が噴き出て、急造で池でも造ったのか・・。ここ数年円安で外人観光客も増えているので、そうした外人客には好評だろう。 大鳥居の前方には高台の上に造られた展望台がある。この時間でもまだ猶数人の参拝者、観光客がテラスの上から景色を眺め、写真を撮って談笑している。夕暮れの最期の余韻を楽しんでいるようだ。高台からの眺めは抜群だ。薩摩平野がずっと先の海に向かってなだらかに落ちていく。夕暮れに沈む平野。明かりの塊は町か集落か。その先ひときわ赤く燃えている山がある。桜島だ。薩摩の人々の心の山。朝も昼も夕方も。火を噴いていれば、夜まで赤く見えていた。裸の王様、山下清がこの町へやって来た時、桜島は火を上げていた。彼の好きな花火と火山。彼もこの宮の高台の展望台から花火のような噴火を眺め、徒士足踏んで喜んだに違いない。
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鹿児島県の旅行記 霧島神宮社殿前の大楠を眺めるが、記憶に全く残っていな...
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鹿児島県の旅行記 最後にもう一度参拝し、宮を離れる。
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鹿児島県の旅行記 今度来るとき、三度目にはしっかり記憶に刻まれているだ...
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鹿児島県の旅行記 鳥居の横の天孫降臨の碑。
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鹿児島県の旅行記 徳富蘇峰が跋文など書いている。
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鹿児島県の旅行記 招霊木、何の木だろう・・
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鹿児島県の旅行記 各神社では磐座などを見かけるが、ここの憑代は木になっ...
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鹿児島県の旅行記 駐車場の手前には源泉の池などもある。・・以前はこんな...
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鹿児島県の旅行記 展望台から薩摩平野を眺める。
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鹿児島県の旅行記 夕暮れに沈んでいくなだらかな平原。
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鹿児島県の旅行記 桜島がくっきりと浮かんでいる。
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鹿児島県の旅行記 朝ホテルの8階から眺め、フェリーで目前を通り、今また...
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鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(30)霧島神宮ご参拝。
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2016/12/16~" . 2016/12/18
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薩摩・大隅の旅(30)霧島神宮ご参拝。

今手元に別冊歴史読本の「日本神社名鑑」がある。これは主に全国の一宮を網羅していているが、全国神宮は必ずしも各地の一宮と一致している訳ではない。むしろ神宮は一宮からは除外されていて、香取、鹿島他五宮に過ぎない。全国に20以上ある神宮の大半は別格の扱いだ。地霊神を祀る一宮以上の存在になっている。九州は神話の故郷だけあって、神宮は六ケ所もある。 当方、全国の主だった神宮、大神宮、大社、一宮は参詣していて、九州の神宮も鹿児島神宮以外はすべて参詣している。ここ霧島神宮は今度で2回目になる。最初に参詣した時は、先にも触れた都城の今村宅に泊まった翌日、高千穂峰に登頂したが、その下山後に参拝した。宮は高千穂峰の直ぐ横手にあり、この峰がご神体になっている。今100名山登頂記録を確認してみると、それは2001年5月3日のことだった。今から15年も前のことである。 高千穂の峰は正式な山名は霧島山で標高は1700m、当時は足も元気で、2時間も掛からず登頂できたが、その時の俳句が、 <茜さす 高千穂の峰 拝みけり> これは今日と同じ夕方近くで、樹木1本生えていない赤茶けた富士山型の山に丁度西日が差して、神々しいほどに赤く燃えていたが、思わず両手を合わせ、自然の造形の美しさに首を垂れたのだった。そこから直ぐに鹿島神宮に参拝したが、初めて見る神宮は如何にも異様な感じの南国調の造りで、こうした造りの神社には今までにお目にかかったことはなかった。 神社仏閣に造詣の深い服部先生にすぐさま電話し、今霧島にいることを伝えた。この時まで自分も各地のかなりの数の寺社を回ってきたが、この宮の造りは他とはかなり違っていて、その印象を先生に伝えたが、先生もまだこの宮を見たことはなく、当方の説明にもどかしさを感じたものだった。 今日は2回目であるがその時に受けた衝撃はほとんどない。何故だが分からないが、横から眺めた時の階段状の段差を設けた屋根が見えないようだ。神社は20年おきに遷宮するので、以前来た15年の間に建て替えられたのか・・。或いは自分の記憶があいまいで、薄れてしまったのか。社殿の前の大楠ですらも良くは覚えていない。夕方近く、人気の少なくなった社殿にそそくさと参拝したが、そうした気持ちのせわしなさもえいきょうしているのか・・。でもまあ、今日の最後に宮参りに間に合って、何よりも良かった。
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鹿児島県の旅行記 夕刻ぎりぎりに霧島神宮に到着した。
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鹿児島県の旅行記 宮がまだ開いていて良かった。
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鹿児島県の旅行記 十数年ぶりに参拝する。
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鹿児島県の旅行記 多層構造の霧島宮。以前受けた時の感動が湧きあがらない...
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鹿児島県の旅行記 瓊瓊杵尊(ににぎ)の逆鉾が高千穂の峰の山頂に刺さって...
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鹿児島県の旅行記 天孫降臨神話の故郷。瓊瓊杵尊は天照大神の孫に当たる。
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鹿児島県の旅行記 ここから日本の国造りの神話が始まる。
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鹿児島県の旅行記 神宮の中でも、格式の高い宮だ。
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鹿児島県の旅行記 社殿の前の大楠。これすらもあったことを覚えていない。
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鹿児島県の旅行記 あちこち全国を回り、あちこちを見ているが、これだけ忘...
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鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(29)鹿屋を後にし霧島神宮へ向かう。
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2016/12/16~" . 2016/12/18
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薩摩・大隅の旅(29)鹿屋を後にし霧島神宮へ向かう。

今日は忙しい1日だ。朝一番でホテルを出て、フェリーで鹿児島湾を横断し、垂水から一路佐多岬までの150キロを駆け抜け、再び半島を北上し、その根元近くにある鹿屋基地に立ち寄り、今日の最終目的地は県の最北、宮崎県堺にある霧島神宮まで回る予定でいる。鹿屋では本来もっとゆっくりと見学したかったのだが、先のことを考えると、余りゆっくりもしていられない。これから更に100キロ以上を走らなければならないのだ。 2階の展示場にはゼロ戦が中央に堂々と置かれていて、その周りにはヘリコプターとか、コンピューターシュミレーションの設備などの展示もあったが、先を急ぐので、そうした機器類に触れることもなく、そのまま通り過ぎ、再び1階の特攻隊員遺品室等を回ったが、その一つ一つの手紙類を読む時間もなかった。昔、学生の頃毎日新聞社から出版された戦没学生の手記を読み、当時の、自分と同世代の青年がどれ程国を思い、家族を思い、今置かれた境遇に悩み、過酷な人生と真剣に向かい合っていたその時の状況、精神を想像すると涙を禁じ得ない思いがあった。今、ここに展示されている両親、家族あての手紙、遺書などを目にすると、中を読まなくてもその時の情景が自然と思い出された。 自分を含め今の現代人、青年は当時の人々、兵士や戦没学生と比べたら、随分甘い、楽な生活をしていると改めて思い起されるのだが、そうした重く沈んだ心になって記念館を出ると、南国の外の陽光は暖かく、明るかった。入館する前には気が付かなかったが、館の横手には更に新たな航空機が屋外展示されていて、それ等は海難救助ヘリのようだが、南海の荒海で遭難する漁船員等の救助で、時々ニュースになったりするものだった。 最前線新鋭機のジェット戦闘機と比べるとこれ等のヘリ救助機はやや迫力に欠け、強く興味を引き付けるものではなく、ほんの一瞥、写真だけとって、鹿屋を出て国道を北に向かう。道路標識を見ると右手、太平洋岸に向かうと、ペンシルロケットで有名な内之浦とか、いやいやバカにするものではない、JAXA、宇宙開発事業団のロケット打ち上げ基地が今の種子島に移る以前には、宇宙ロケットはすべてこの内之浦から打ち上げられていたのだが、今はマイナーの小サイズロケット打ち上げ基地に格下げされている。 この内之浦の直ぐ北側には志布志湾があり、ここは又鹿児島湾内にある喜入よりは更に大きな石油備蓄基地で、今は何日分かは正確には知らないが、国の施策として、日本で毎日使用する石油の90日分を備蓄している。もしも時間があれば寄り道してこの内之浦?志布志湾の日南海岸を回るきおとも考えたが、如何せん時間がない。今回はオミットして先に進む。 国道は大隅半島根元部分の長閑な田園、森林地帯を都城に向かって進むが、都城には知人の今村さんが住んでいて、たまたま名前はこの前辞職した佐賀出身の今村大臣と同姓だが、彼と違って薩摩藩士の血を引く名家で、以前高千穂峰に登った時に一泊お世話になったが、今回は事前に知らせてなかった。それにもう10年も会っていない。今村さんに電話する誘惑にも駆られたが、もう既に時間も遅く、曾於(そお)という変わった名前の山間部で、右手都城、左手霧島、との分岐点で左を選び、霧島へ急いだ。霧島に着いた時は殆ど夕方近く、参道前の路上駐車の車も1?2台、数える程だった。
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鹿児島県の旅行記 鹿屋資料館2階には操縦シュミレーションなどもできる。
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鹿児島県の旅行記 操縦室にも座ることができる。
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鹿児島県の旅行記 海自救難ヘリか・・
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鹿児島県の旅行記 館の外にも大型ヘリが展示してあった。
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鹿児島県の旅行記 航空オタクが見たら、飽きないだろう・・。
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鹿児島県の旅行記 記念館内外をさっと見終え、次に霧島宮に向かう。
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鹿児島県の旅行記 大隅半島の位置関係が出ている。
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鹿児島県の旅行記 グーバイ、鹿屋!
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鹿児島県の旅行記 霧島宮に着いた時は既に夕方近くになっていた。
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鹿児島県の旅行記 参道が西日に赤くなっている。
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鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(28)鹿屋海自資料館にて零戦を見る。
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薩摩・大隅の旅(28)鹿屋海自資料館にて零戦を見る。

ここ鹿屋の海軍基地から飛び立った若き特攻隊員は900名を超える。その特攻隊員の御霊を奉じるためにこの記念館が設立された。正式な名称は鹿屋航空基地資料館と言う。表立って英霊を祀りあげる行為が憚れる現在、ここは資料館という名前にはなっているが、展示品の大半は特攻として死んでいった各飛行隊の記念写真、遺品、遺書、携行品等の数々である。大半が若い飛行曹、一飛、二飛。中には30代後半の飛行大尉もいれば、40過ぎの少佐もいる。戦争末期、若い兵士を見送った最後に責任を取る形で飛び立っていったのだろう。 どの写真も真剣な眼差しではあるが暗さはない。明日死ぬかも知れない命を外に置いて、屈託のない笑顔が溢れている若者もいる。若者と言っても20代後半だから、既に飛行隊隊長になっている。酒を汲み交わしている場面もある。特攻直前の水盃だ。運命の時間軸を切断し、先輩後輩に続いていく。肩に力は入っていない。諦めの境地か、より多くの成果を上げんとする秘めたる意思か・・ 数々の資料、映像、音響、武具。カメラを向けるのは不敬だ。いやその前に館内撮影禁止になっている。当然だ。彼等英霊に興味本位のカメラを向けてはならない。 2階正面に展示されているゼロ戦、零式艦上戦闘機は特別だ。ここだけは写真撮影は自由で、何人かの来訪者が機の周りを好かず試さず行き来し、写真を撮り、尊敬の眼差しを向けている。好き者に違いない。自分も踏台のステップを上がって操縦席を間近に見る。若き血潮はこの狭い操縦席で、必死必殺の思いで敵艦に向かって行ったのだ。当たって砕けろ、日本人の敢闘精神が凝縮されたようなコックピットだった。名機ゼロ戦を生んだ日本は、戦争に敗れても敗戦国、従属国になることなく、見事に復活し、世界のリーダーの一国になっている。若き命は無駄な死ではなく、未来に生きていた。
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鹿児島県の旅行記 特攻記念館。正式な名称は海上自衛隊鹿屋航空隊資料館。
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鹿児島県の旅行記 入り口付近には海自らしく、戦艦大和の模型が展示されて...
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鹿児島県の旅行記 1階は特攻隊関連の資料、遺書、写真等が展示されている...
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鹿児島県の旅行記 零式艦上戦闘機、こんな間近に見るのは久しぶりだ。靖国...
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鹿児島県の旅行記 零戦の仕様が詳しく記載されている。
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鹿児島県の旅行記 識別標識。だが、所属部隊は書いてない・・
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鹿児島県の旅行記 ああ、機体後部には識別標識がある。詳しく見てみよう。
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鹿児島県の旅行記 操縦室まで見える。
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鹿児島県の旅行記 ああ、こんな小さな単座の操縦室。この個室の中で、特攻...
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鹿児島県の旅行記 当時の日本の技術の粋、今の北朝鮮のICMB以上の知識...
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鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(26)砲台を見て昼を食べ開門を眺める。
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薩摩・大隅の旅(26)砲台を見て昼を食べ開門を眺める。

この旅行記は今から半年ほど前の去年の12月のものである。だが昨日の7月11日、お昼のニュースの直前にテレビに赤いテロップと同時に緊急警報が流れ、九州鹿児島方面に大きな地震が発生するとの警報があった。その後昼のニュースの時間になっても現地からの報道が継続されたが、この東京では地震波も感じられず、遠く離れた関係ない地方の出来事と画面を見ていた。テレビでは震度5で、震源地は鹿児島市喜入町沖の鹿児島湾と報じていた。今まで自分はこのブログでもそうだが、錦江湾と覚えていて、そう書いてきた。処が、最近この湾の名称は鹿児島湾と呼ばれるようになったのだ。何時ごろから変更になったのかは知らないが、全国放送で流すテレビで、錦江湾とアナウンスするよりは、鹿児島湾と表現した方が、見て聞く側は直ぐに理解できるだろう。報道は簡単明瞭が良いのだ。 処が後でぞっとしたのは、震源地が喜入沖の鹿児島湾、と聞いたことである。この喜入町は巨大な石油ターミナルになっていて、日本最大級の石油基地だ。今朝鴨池からフェリーで垂水に渡った際にも、フェリーの後方、指宿に向かう手前の海岸線に果てしない数の石油タンクが林立していたが、そこがこの喜入なのだ。TVでは川内原発についての動静が報じられ、被害がないことを伝えていたが、もしもこの喜入石油備蓄基地の真下で直下型地震が発生したら、それこそ原発並みの被害が発生したであろう。巨大な石油タンクは倒壊し、一斉に火を噴き、喜入の町は瞬く間に焼失し、鹿児島湾も火の海で鎮火不能になるだろう。震度5というそれ程巨大でない地震と、震源地が少しずれて湾内であったことが幸いした。しかし又いつ同様な危険に遭遇するかは分からない。地震国日本、行政の対応も急務だ。 さて、半年前の旅行に戻ると、ここお台場公園は幕末の藩主斉彬公により建造されたもので、多分、品川沖のお台場にしても彼の意向が強く働いていたと思われ、幕末の英君の一人であることは間違いない。この砲台から英艦に砲撃した結果、逆襲に遭い、あっけなく打ち負かされたのだが、彼が英君と言われるもう一つの所以は、この薩英戦争における英国軍の強さを目の当たりに体験し、莫大な賠償金を払うとともに英国との単独修好を結び、英国の後ろ盾で幕府軍、倒幕運動に進んで行ったことである。 そうした幕末の風雲急を告げる激動の中で、この藩には英明の君主がいたのだが、新しい日本を見ることもなく、僅かに50を過ぎたばかりの若年で世を去った。もしも彼が明治の世まで生きていたら、この日本はどんな風になっていただろう・・。そんなことを考えながら、丁度この台場公園を見下ろす場所に料亭があり、そこは朝佐多岬に向かう途中に目星を付けていた食堂ではあるのだが、見晴らしの良い個室から、海の向こうに晴れ晴れとした勇姿を見せている開聞岳を眺めながら、少し遅い昼食を摂った。近海物の刺身定食が美味しく頂けた。
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鹿児島県の旅行記 ここは幕末の砲台だけあって、昔の大砲が展示されている...
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鹿児島県の旅行記 キャノン砲だ。
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鹿児島県の旅行記 斉彬公、こうした大砲を昨日の反射炉で作らせていたのか...
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鹿児島県の旅行記 公園には南国の花が咲いている。
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鹿児島県の旅行記 ああ、ハイビスカスも咲いている。
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鹿児島県の旅行記 さて、公園の上の海の見える部屋で昼飯とする。近海の刺...
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鹿児島県の旅行記 窓の外に錦江湾、いや、鹿児島湾が見える。
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鹿児島県の旅行記 正面の開聞岳、何回見ても良い山だ。
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鹿児島県の旅行記 薩摩の最南端、長崎の鼻も見える。
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鹿児島県の旅行記 さて、開門ともここで一旦はお別れだ。
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鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(25)台場公園へ。
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2016/12/16~" . 2016/12/18
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薩摩・大隅の旅(25)台場公園へ。

幕末、江戸湾(東京湾)にお台場があったように、ここ錦江湾にも同じような砲台があった。外国船打ち払いの目的もあったが、江戸や鹿児島の城下を敵の攻撃から守る、防衛の目的もあった。長門の馬関海峡(関門)高台にも同じような砲台が作られていて、期せずしてこの3国、幕府と薩摩長州はそれぞれに反射炉を作り、自前の砲台も作っていた。江戸のお台場は幸いにも外国船による攻撃には晒されなかったが、長門もここ薩摩も外国船の砲撃によりあっけなく破壊された。 佐多岬から50キロ程戻った辺りが錦江湾が対岸の薩摩半島との間が一番狭まっていて、湾の入り口を塞ぐような形になっているが、そこに砲台が作られている。今は小奇麗なお台場公園になっているが、ここに英明な藩主斉彬公の発案でお台場が作られ、彼自身もこの辺鄙な地まで視察に来ていたのだ。彼が当時使用した手水石など、歴史遺物が残されていたり、大砲なども置いてあるが、この場所は嘗て薩英戦争時に英国軍により破壊され一時的に占領もされたのだが、後からどこかからか運ばれてきたものだろう。 ここからは対岸の指宿が目と鼻の先であり、薩摩半島先端にそびえる開聞岳が大きく姿を見せている。海上から眺めると圧倒的だ。以前屋久島へ行き、帰りに高速フェリーで帰ってきたが、その時に眺めたこの山の美形、一点の瑕疵も無い均整の取れた山が海上に浮かんでいる。戦時中鹿屋、知覧から飛び立った陸海軍飛行隊は、南方洋上での戦いの後、基地に帰投したが、この山を目標に帰ってきたと言われる。それ程、どこから見ても高くて、目立つ山だ。暫くその美形に見とれた。
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鹿児島県の旅行記 大隅の海岸線が続く。
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鹿児島県の旅行記 車も少なく、ドライブ日和だ。
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鹿児島県の旅行記 ああ。標識が出ている。ここから宗谷岬まで2700キロ...
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鹿児島県の旅行記 錦江湾も波静かだ。
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鹿児島県の旅行記 ああ、対岸の指宿が見えてきた。
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鹿児島県の旅行記 ん、山が見える。開聞岳だ。
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鹿児島県の旅行記 素晴らしい勇姿だ。
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鹿児島県の旅行記 湾の一番狭まった場所に公園がある。
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鹿児島県の旅行記 ああ、砲台跡。お台場公園だ。
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鹿児島県の旅行記 当時のお台場の様子が良く保存されている。
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鹿児島県の旅行記 ああ、これが斉彬公使用の手水鉢か・・。
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鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(17)世界遺産「集成館」。
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2016/12/16~" . 2016/12/18
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薩摩・大隅の旅(17)世界遺産「集成館」。

明治日本の産業遺産としてここ集成館が世界遺産に登録されたのは去年の事だ。長崎沖の高島鉱・端島(軍艦島)とかグラバー邸は大きくニュースで取り上げられて、多くの人の知るところとなったが、ここ集成館や天草の三角港も同時に登録されたが、殆どニュースにも取り上げられず、知る人は少ない。鹿児島市内にもそうしたお目出度Huppyの宣伝広告などはなかった。 ホテルのある天文館から市内観光バスCity Tourでやってきたが、夕方近くで訪れる人も少なく、又、バスを降りてからも世界遺産登録を宣伝するような幟もなく、知っていなければここが世界遺産の場所とは気が付かないだろう。当方がここへやってきたのは、世界遺産もさることながら、幕末の薩摩藩の富の源泉、殖産興業の跡を見たかったのだ。それと仙巌園。天璋院篤姫がまだ篤子と呼ばれていた幼少時、この近くの浜御殿で過ごしていた。その浜辺と正面の桜島を見たかった。 世界遺産の登録に備えてか、集成館の周辺全体は綺麗に環境整備されていて、外から眺めただけでも如何にも展示館、パビリオンのようになっている。幕末・明治期の最初の時代にはもっと貧し気な、貧弱な様相だったと思うが、今は観光客用である。バス停の正面に古びた神社があるが、これは鶴嶺神社で、島津家歴代の藩主を祭神としている。由緒ある古びた感じの神社であるが、創建は明治になってからであり、薩長が天下を取って以降のことだ。 集成館、現在の正式名称は尚古集成館と呼ばれているが、幕末、斉彬公により近代産業、工業化の必要に迫られ、機械工場、造船工場としてスタートしたが、その直後に薩英戦争により艦砲射撃で灰塵に帰し、講和条約成って以降再築されたものである。ここにも反射炉があり、自分の知る限り、幕末の反射炉は全国でも3か所で、その一つは韮山代官江川太郎左衛門と、毛利の萩のものだった。長州も又馬関海峡で英仏等の4国連合に戦いを挑んだが、僅か1日の戦闘で砲台が占拠され、当時の西欧列強との力の差は歴然だった。 綺麗にお化粧直しされたそれ等の記念館、尚古館を外側から眺め幕末の列強何するものぞ、との薩摩隼人の心意気を感じる。薩長この2国がいち早く西洋の技術を取り入れ、藩を富ませ、且つ列強に戦いを挑む。この間、坂本龍馬が海援隊を組織し、いろは丸を操船して長崎、鹿児島、馬関、三田尻等々、全土を股にかけて縦横に活躍していた時代が偲ばれる。先年、高千穂山に登った時、竜馬と妻お龍が日本人の最初の新婚旅行先がこの山だった、との碑が山頂直下に建っていたが、丁度この頃か・・。 神社を挟んで反対側には仙巌園がある。久光公が作った国の名勝だ。時間が遅く中には入れなかったが、まあ、名園はあちこちで見ているから、オミットしても良いだろう。それよりかこの苑の前の水辺から桜島が目の前に大きく見えている。ここからは僅か数キロの距離だ。篤姫が幼少時今和泉家浜屋敷で毎日この山を眺め、育ったのはこの辺りだ。山は今将に夕日を浴びて赤く染まっている。この山を見ていると、何故か懐かしくなってくる。
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鹿児島県の旅行記 City Busを降りた正面には鶴嶺神社がある。
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鹿児島県の旅行記 ここは歴代薩摩藩主を祀る神社だが、歴史は意外に新しく...
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鹿児島県の旅行記 神社の左側には去年世界遺産に登録された集成館がある。
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鹿児島県の旅行記 幕末、日本の夜明けを担った一つの記念すべき場所だ。
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鹿児島県の旅行記 尚古集成館。当時の記念館、土産店にもなっている。
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鹿児島県の旅行記 この奥に反射炉跡がある。
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鹿児島県の旅行記 神社の右手には国の名勝庭苑、仙巌園がある。
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鹿児島県の旅行記 この前は昔は浜辺になっていたが、今は国道が走っていて...
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鹿児島県の旅行記 赤富士ならぬ赤焼けの桜島。
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鹿児島県の旅行記 陽は沈み、山は再び自然の黒山に戻った。篤姫もこの山を...
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鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(15)西郷墓所からの眺め。
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薩摩・大隅の旅(15)西郷墓所からの眺め。

この南洲神社の参道にはモダンなデザインの街灯が建っている。年末年始、或いは夜間の参詣者が足元に困らないように設置されているのだ。石灯籠が普通の神社の明かり取りになるが、ここはモダンだ。ガス灯のような感じであり、電気に代わる以前はガス灯で照らされていたのかも知れない。 墓地を真ん中にして南洲神社の反対側には立派な資料館、記念館が作られている。元々この墓所までやって来る人は数少なく、記念館にも人気はなく、閑古鳥が鳴いているような静けさだ。その館の脇を通り、後ろの高台に上る。綺麗に剪定された竹林になっている。竹と西郷との関わりについては当方全く不明だが、この丘の一番高い場所を綺麗に整地し、竹林公園にしているのは、何らかの彼との関りがあるのだろう。熊本からの敗走の際、こうした竹藪で難渋したとか・・。 竹林公園は周囲を竹林とか雑木に囲まれ、視界は開けていないが、又、元の墓地まで戻ると、最初に右手の直ぐ近くに城山の森が見えてくる。案外近く、距離にして2?3キロか。この丘のような台地も当時は戦場になったかも知れない。城山とこの墓地との間の窪地には、今はびっしりと住宅が建っている。緩やかな傾斜はシラス台地だ。今日、鹿児島空港に着陸する直前飛行機の中から見えたシラス台地と同じ地層帯だ。大雨の時などよく地滑りが発生しているが、ここの住宅地は大丈夫だろうか。 墓地を後ろから眺めると、矢張り相当な数の墓石だ。昨日のブログに自分は墓石数を2千有余名と書いたが、これはどこかで見た記憶に基づく数字で、メモした訳でもなく、その記憶は間違いかも知れない。先刻の南洲神社前の招魂碑には7500有余名の戦没者名が刻印されていたが、今見るお墓も同数の7500有余基かも知れない。多くの若者の地が流された。意味のない無駄な戦いだったのかどうなのかは、自分には判断すべき術を持ち合わせてはいないが・・。 その墓地の向こう側に桜島が大きく迫ってきている。先刻城山で見た時よりは、数キロ近づいているので、その分迫力が増したのか・・。西郷も若き御霊も毎日こうして桜島と対峙している。いや、今日の日和を話し合っているのかも知れない。薩摩隼人、桜島に育まれ、桜島と共にあり、最後は又桜島に見守らている。鬼籍に入っても幸せに違いない。
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鹿児島県の旅行記 南洲神社参道には随分モダンな街灯が建っている。
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鹿児島県の旅行記 何か謂れが書いてあるが、鹿児島に最初に電気が導入され...
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鹿児島県の旅行記 墓地を挟んで神社の反対側には記念館が建っている。
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鹿児島県の旅行記 その脇を通り抜け、奥の一段高い台地に行くと、綺麗に整...
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鹿児島県の旅行記 竹林を主にした休憩の小公園のようだ。
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鹿児島県の旅行記 小公園では視界が妨げられていたが、記念館まで戻ってく...
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鹿児島県の旅行記 この西郷墓所と城山の間に広がる住宅地。シラス台地らし...
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鹿児島県の旅行記 今は住宅が密集している。大雨の時などの地滑りの心配は...
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鹿児島県の旅行記 墓地を背後から眺める。相当な数の墓石数だ。2000数...
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鹿児島県の旅行記 墓地の正面には桜島が大きく迫ってきている。
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鹿児島県の旅行記 戦乱に斃れた幾多の御霊も毎日こうして桜島と対話できる...
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鹿児島県の旅行記 薩摩健児、薩摩隼人の家並が眼下に広がる。
鹿児島県の旅行記
鹿児島 ,Life is journey !2017年GW 鹿児島-熊本 2日目
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鹿児島
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Keroro
鹿児島県の旅行時期
2017/05/02~" . 2017/05/02
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

Life is journey !2017年GW 鹿児島-熊本 2日目

九州の旅、2日目は指宿から知覧を経由し鹿児島市へ。 知覧では特攻平和会館、武家屋敷へ。 宿泊先の鹿児島市では美味しい郷土料理とやっぱり芋焼酎! それと天文館むじゃきで定番のシロクマ。 □1日目 羽田空港?鹿児島空港?霧島神宮?黒酢?指宿 ■2日目 指宿?池田湖?知覧?鹿児島 □3日目 鹿児島?人吉?(SL)?熊本 □4日目 熊本?阿曽?熊本空港?羽田
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鹿児島県の旅行記 指宿の朝。 お天気良さそうです。
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鹿児島県の旅行記 朝ごはんもお部屋で頂きます!
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鹿児島県の旅行記 知覧に行く前に、池田湖に寄ってみました。 朝は天気...
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鹿児島県の旅行記 近くに大河ドラマのロケ地となった棚田があるそうなので...
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鹿児島県の旅行記 知覧について最初に特攻平和会館。 館内では小声の私...
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鹿児島県の旅行記 見学後は胸がいっぱいになり、今の自分を反省...
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鹿児島県の旅行記 そして知覧武家屋敷庭園。 天気も回復し、散策日和。
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鹿児島県の旅行記 昼食は武家屋敷群の中にあるお蕎麦屋さん。 外観は古...
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鹿児島県の旅行記 昼食後は500円の共通拝観券を購入し、各庭園を見学。
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鹿児島県の旅行記 どのお庭も手入れが行き届いています。
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鹿児島県の旅行記 武家屋敷の一軒で知覧茶を販売していたので、新茶を購入...
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鹿児島県の旅行記 お茶屋さんのあった武家屋敷のお庭。
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鹿児島県の旅行記 知覧観光の後は一路鹿児島市内へ!
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鹿児島県の旅行記 17時に駅前でレンタカーを返却。
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鹿児島県の旅行記 鹿児島と言えば定番のしろくま! 夕食のことも考え、...
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鹿児島県の旅行記 夕食はネット検索で高評価だった「吾愛人」へ! どれ...
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鹿児島県の旅行記 そこそこおなか一杯になったのですが、 「鹿児島ラー...
鹿児島県の旅行記
鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(14)南洲神社。
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鹿児島
鹿児島県への旅行者
ちゃお
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2016/12/16~" . 2016/12/18
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

薩摩・大隅の旅(14)南洲神社。

西南戦役で没した西郷隆盛を始めとする2千有余名の御霊を祀る墓地の右の奥手に南洲神社がある。南洲とは西郷隆盛の雅称であり、この神社は隆盛を祀る神社として彼の没後に建立された。いつの創建かは知らないが、新政府に対する賊軍の汚名が返上され、彼の名誉が回復した後のことと思われる。 幕末から明治にかけ、各地に偉人、英雄が輩出したが、そんな中で、死後神様と崇められ、神号まで与えられて神社まで建てられた例は数少ない。自分の知る限りでは3人で、その内の一人は先刻参拝した照国神社の祭神島津斉彬公であり、他の一人は今将に参拝する西郷隆盛、南洲神社である。もう一人は長州萩の吉田松陰。彼の私塾松下村塾の松林の中に松陰神社が建っている。余談になるが、30数年前、境内のすぐ前の土産店で買った萩焼の湯飲みは、今でも毎日使用している。時々は萩のこと、私塾のこと、松林のことを思い出しつつお茶を飲んでいる。 社殿の正面には西郷南洲のいつも見慣れた薩摩のおいどんの顔写真が掲げられ、その横に座右の銘「敬天愛人」の額が掛かっていた。南洲自身の自筆による太くて黒々とした力強い筆致だ。将に天の命ずるまま運命に従って従容と生き、隣人、藩と国人、国家を愛していた。北村西望の成す上野公園の犬を引き連れた純朴の銅像と同じに、慈愛の深い、心の深い顔立ちだった。 神社の前には丁度沖縄摩文仁の丘の礎(いしじ)と同じように、西郷に従った6千有余名の将兵の名が刻まれている。見ると将兵は広く薩摩大隅日向の各国元、各藩から集められた健児で、この神社もそうした遺族の総意により建立されたものだろう。明治の初め、国の方針と意見を異にし、新政府に反抗する形で決起したが、その意図するところは国を思い、行く末を案じての旗揚げであって、名誉は早晩回復されるべきものだった。 琉球語では碑をいしじと呼ぶが、薩摩方言では何と呼ぶのか・・。藩別、郷別、氏族別に刻字された墓碑を一渡り眺め、墓地の奥の宗林を歩いてみることにした。
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鹿児島県の旅行記 西郷墓地の右奥には南洲神社がある。
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鹿児島県の旅行記 南洲神社、即ち、西郷隆盛の御霊を祀る神社だ。
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鹿児島県の旅行記 過去の今もこの先も県民から敬愛されている西郷どん。
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鹿児島県の旅行記 敬天愛人。西郷さんの座右の銘だ。
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鹿児島県の旅行記 神社の前には西南戦争に従い、犠牲になった将兵を供養す...
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鹿児島県の旅行記 各藩、各郷から参集した兵子、健児の名前が刻まれている...
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鹿児島県の旅行記 靖国に祀られる将兵同様に、ここに祀られる兵士の遺族も...
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鹿児島県の旅行記 出身地別、名前別に6755名の名前が刻まれている。
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鹿児島県の旅行記 神社の中には戦争当時の鹿児島市内の写真が掛かっていた...
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鹿児島県の旅行記 親しみがあり、奥深い西郷さん、どん。左右に桐野、篠原...
鹿児島県の旅行記
鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(13)屋敷町の奥の西郷墓所へ。
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鹿児島
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ちゃお
鹿児島県の旅行時期
2016/12/16~" . 2016/12/18
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

薩摩・大隅の旅(13)屋敷町の奥の西郷墓所へ。

西郷像の建つ中央公園周辺には幾つもの歴史的建造物が建っている。鹿児島も空襲に遭った筈だからこれ等の建物は戦後建てられたのか。飛び乗ったバスはもう一度城山駐車場に向かうが、その途中西郷洞窟の前を通過する。何人か下車し、又何人か乗る人もいた。西郷最後の場所をこの目で見ておきたい、という観光客も多いのだ。バスは旧城址から東外れに当たる武家屋敷地区に入り、自分もそこで下車する。篤姫の生家、今和泉家もこの辺りのどこかにある筈だが、幾つかのそれらしき豪壮な邸宅を見るが具体的にどこがその邸宅かは分からなかった。いずれにしても島津本家の外戚の一つ、領主でもあって、それなりの立派な邸宅だったろう。 その屋敷町を登った先の丘の上に西郷神社がある。西郷神社もそうだが、そこには西南戦争で亡くなった西郷軍の将兵2000数名の墓石が一堂に奉じられていて、壮観だ。坂を上って行くと前方に鳥居が見てきて、この丘の上に墓地があり、且つ、神社があることを示している。しかしここまでやって来る観光客はごく稀で、殆ど行きかう人もいない。鳥居をくぐると、先ず最初に目に着くのは、正面のひときわ大きな墓石で、そこには「西郷隆盛の墓」と刻されている。後は何も書いてない。戦乱前は陸軍大将であったが、新政府に歯向かい剥奪され、遂には敗れて頓死。爵位も何もなく、南洲翁という雅号もなく、一人の人間として葬られている。人として生き、人として死ぬ、それが彼の本望だったのかも知れない。 どこかで見たような墓石だ、と思って眺めていたら、それは三鷹の禅林寺にある森鴎外の墓石と形も大きさも質感もそっくりだった。森鴎外も陸軍中将で没したが、墓石には単に石見人、森林太郎との本名が刻されているのみだ。墓石は当然ながら西郷の方が先に建立されていたのだから、鴎外は西郷の無冠の墓碑を知って、同様にしたのか・・。鴎外に生前何等かの心の負い目でもあったのか・・。あったとすれば日露戦争時の疫学対応位だと思うのだが・・。いずれにしても鴎外と西郷の形も大きさもそっくりの偶然にはたと気が付いた。 鹿児島県人の敬愛止まぬおいどん西郷。反乱軍となっても県民の情は篤く、遺族関係者が力を合わせ、見晴らしの良い丘の上にこれだけの規模の墓地を作った。大将も隊長も兵卒も皆一緒になって眠っている。線香の香りは漂ってはいないが、献花はどれも新しい。敬愛者や遺族が日々やってきては捧げているのだろう。どっしりとした重量感のある墓石。誰がやってきてもここからは動かんぞ、と無言の主張をしているようだ。暫く墓石、墓域を眺めていると、若いグループの何人かがやってきた。それを汐に西郷神社へお参りに行くことにした。
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鹿児島県の旅行記 中央公園、西郷像の前には、幾つかの歴史建造物が建って...
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鹿児島県の旅行記 これは博物館。戦災には遭わなかったか・・
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鹿児島県の旅行記 県文化センター。
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鹿児島県の旅行記 City Busは途中西郷洞窟の前を通過する。
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鹿児島県の旅行記 住宅街で降り、西郷墓所、神社を探す。
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鹿児島県の旅行記 住宅地を抜けて高台に向かう。
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鹿児島県の旅行記 丘の上に鳥居が見える。ああ、ここが西郷神社だ。
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鹿児島県の旅行記 石段を上ると、12月なのにまだ銀杏がまだ黄葉していた...
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鹿児島県の旅行記 石段を登った正面は墓地で、その真正面に西郷の墓石が建...
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鹿児島県の旅行記 いやー、どっしりした重量感のある墓石だ。無冠の隆盛。
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鹿児島県の旅行記 左右を桐野、篠原等の隊長が取り囲んでいる。
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鹿児島県の旅行記 広大な墓地には、西郷に従って散って行った将兵が一堂に...
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鹿児島県の旅行記 国を思い、家族を思い散って行った2000数百名の西郷...
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鹿児島 ,西郷どんの偉大さを実感した南九州の旅!
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鹿児島
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yamayuri2001
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2017/05/19~" . 2017/05/23
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

西郷どんの偉大さを実感した南九州の旅!

この旅行で、歴史における鹿児島の重要さを実感しました。以前四国を訪問したときにも 西日本の歴史の深さを知りましたが、今回再び、明治維新において、どれほど重要な役割を果たしたのかを 痛感しました。 桜島が、毎日噴火しているなんて・・・ ハワイ島だけではなく、地球は生きているを 実感した旅でした。 5月19日 JAL便で羽田から熊本へ       ホテル日航熊本に宿泊       水前寺公園・熊本城・加藤神社訪問 5月20日 阿蘇草千里・大観峰       高千穂・天岩戸神社へ       延岡ホテルメリージュ宿泊 5月21日 都城経由で宮崎市へ       鵜戸神宮参拝・青島訪問       シェラトングランデ・オーシャンリゾート宿泊 5月22日 都城経由で櫻島へ       尚古集政館・仙巌園       ベストウェスタン・レンブラントホテル鹿児島宿泊 5月23日 維新ふるさと館       城山・鶴丸城跡・南州神社参拝       JAL便で夕刻 鹿児島空港から羽田へ
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鹿児島県の旅行記 ホテルメリージュ延岡の朝食バイキングは、地元の食材を...
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鹿児島県の旅行記 九州自動車道をドライブしたら、日南海岸国定公園「堀切...
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鹿児島県の旅行記 少し高い場所にあるので、見晴らしが良いです。鬼の洗濯...
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鹿児島県の旅行記 行きたかった鵜戸神宮へ。開放的な神社ですね。
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鹿児島県の旅行記 あの岩に向かって運玉を投げたい!
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鹿児島県の旅行記 まずは お参りします。
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鹿児島県の旅行記 岩から滴る雫に、ご利益を感じます。
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鹿児島県の旅行記 そして、霊石亀石に運玉を投げ入れると、みごと! ちょ...
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鹿児島県の旅行記 結構遠いのです。あの霊石亀石までの距離は!
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鹿児島県の旅行記 運玉は拾ってこのように乾かして また使うそうです。近...
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鹿児島県の旅行記 たくさんの観光客がトライしていました!
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鹿児島県の旅行記 お稲荷さんにも参拝します。綺麗な鳥居に魅かれます。
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鹿児島県の旅行記 ここから、青島に向かってドライブしたら、モアイが!
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鹿児島県の旅行記 時間が無かったので、サンメッセには行きませんでしたが...
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鹿児島県の旅行記 更に 30分くらいのドライブで、青島が見えてきました...
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鹿児島県の旅行記 両サイドの奇岩を眺めながら、橋を渡り切ると青島に着き...
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鹿児島県の旅行記 青島は島全体が亜熱帯植物の群生地となっているため、国...
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鹿児島県の旅行記 この上を歩いてみました。不思議な鬼の洗濯岩・・・自然...
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鹿児島県の旅行記 青島神社に参拝しました。海の真ん中の拝殿ですが、航海...
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鹿児島県の旅行記 裏手に回ると、このように亜熱帯植物が群生しているのが...
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鹿児島県の旅行記 駐車場近くには、宮交ボタニックガーデン青島がありまし...
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鹿児島県の旅行記 この時期、とても綺麗に手入れされて、美しく花が咲き誇...
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鹿児島県の旅行記 温室に入ると、なんともシンガポールのボタニックガーデ...
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鹿児島県の旅行記 それもそのはず、シンガポールの植物園とは姉妹園でした...
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鹿児島県の旅行記 今日のホテルは、シェラトングランデ・オーシャンリゾー...
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鹿児島県の旅行記 オーシャンビューなんですが、ゴルフ場が眼下なので、あ...
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鹿児島県の旅行記 お部屋はコンパクトですが、一泊だけなので、特に問題は...
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鹿児島県の旅行記 アメニティーは、数は十分ですが、シャンプー・リンスに...
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鹿児島県の旅行記 バスタブもリニューアル直後なので、気持ちよく使えまし...
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鹿児島県の旅行記 ショップがお洒落です。ちょっと覗いてみるつもりが、ど...
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鹿児島県の旅行記 南国色豊かです。この椰子は・・・天然木ではなかった!
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鹿児島県の旅行記 こちらの蘭は本物です。うっとりするくらい綺麗な色です...
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鹿児島県の旅行記 朝食はビュッフェレストラン・パインテラスでいただきま...
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鹿児島県の旅行記 こんなデザインです。全室オーシャンビューです。周りに...
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鹿児島県の旅行記 一つ葉有料道路を走ります。なんて気持ちのいいドライブ...
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鹿児島県の旅行記 そして九州自動車道路を南へ走りました。対向車もなく、...
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鹿児島県の旅行記 走ること2時間、最後は恐ろしく狭くてダートな山道をド...
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鹿児島県の旅行記 噴火しています。
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鹿児島県の旅行記 噴煙は徐々に立ち上がり、桜島が活動していることを実感...
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鹿児島県の旅行記 桜島フェリーで、対岸の鹿児島市に渡ります。このフェリ...
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鹿児島県の旅行記 鹿児島からフェリーが到着しました。
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鹿児島県の旅行記 ずっと眺めていたい桜島!
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鹿児島県の旅行記 15分で鹿児島港に到着しました。もっと乗船したかった...
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鹿児島県の旅行記 庭園は手入れが行き届いています。緑が鮮やかで、癒しの...
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鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(12)照国神社資料館を見て西郷像へ。
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ちゃお
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2016/12/16~" . 2016/12/18
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

薩摩・大隅の旅(12)照国神社資料館を見て西郷像へ。

照国神社の正式な表記は照國であり、先にも触れたように、この神社は薩摩藩第11代藩主島津齋彬公が照國大明神として神格化され、その大明神を御祭神として幕末に創建された神社で、正一位、鹿児島の総氏神となっている。境内には資料館が併設されていて、中に入ると、齋彬公の数々の事績が展示されている。彼は主に江戸の薩摩藩邸(現・田町のNEC本社ビルの跡地)に住んでいて、国元の薩摩に帰るのはまれであったが、英明高い藩主で、多くの薩摩藩民から慕われていた。一説によれば、西郷も公のお庭番のような裏の仕事をしていたとのことを何かの本で読んだこともある。 資料館の中には公の見慣れたふくよかな顔立ちの写真なども展示され、一昨日、銅像の顔立ちと写真とは大分違うのではないかとのコメントが名無しのキムチ氏より寄せられたが、確かに銅像の顔立ちと写真はかなり違っている。銅像は朝倉文雄氏の彫塑であるが、彼は写真も見ないで、勿論実際の齋彬公とも会ったこともなく、話の中の想像で制作されたものなのか・・。中にはペリーの写真なども展示されていて、幕末の緊迫した空気がどことなく漂っていた。 資料館を出て、先刻City Busの中でチラっと見えた西郷隆盛像に向かって歩く。神社と旧鶴丸城址の前は中央公園になっていて、その正面に城山を背にして隆盛像が建っている。この像がいつ建立されたのかは知らないが、その前の歩道には「西郷南洲翁終焉百年之碑」とあり、没後100年を記念して建立されたものかも知れない。官軍の軍服姿の威風堂々としたもので、既に賊軍の汚名は注がれている。 西南戦争後、100年経った今では、西郷翁、いや、南洲翁は郷土の英雄になっている。いやそれは、西南戦争が起きようが起きまいが、薩摩のみならず、日本の開国の英雄であることには違いない。さて、見上げるような高さの南洲翁の銅像を眺め、再びCity Busに飛び乗って、いよいよ最後神社に向かうことにした。
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鹿児島県の旅行記 照国神社境内には資料館もあって、中に入ってみる。あ、...
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鹿児島県の旅行記 良く見慣れた島津斉彬公。今は照國大明神として崇められ...
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鹿児島県の旅行記 佩刀なども展示されている。
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鹿児島県の旅行記 斉彬公言行録。
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鹿児島県の旅行記 照国神社を後にして西郷像に向かう。
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鹿児島県の旅行記 照国神社の前は綺麗に整備された中央公園になっている。
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鹿児島県の旅行記 街のどこからも城山が大きく見える。
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鹿児島県の旅行記 城山を背に西郷像が建っている。
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鹿児島県の旅行記 軍服姿の堂々たる銅像だ。
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鹿児島県の旅行記 その前の歩道には南洲翁終焉100年の碑、とある。
鹿児島県の旅行記
鹿児島 ,薩摩・大隅の旅(11)鶴丸城址を通り抜け照国神社へ。
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鹿児島県への旅行者
ちゃお
鹿児島県の旅行時期
2016/12/16~" . 2016/12/18
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

薩摩・大隅の旅(11)鶴丸城址を通り抜け照国神社へ。

九州には多くの名城がある。その筆頭は熊本城であり、黒田50万石の福岡城、それに転封前の細川小倉城。小さなお城でも2万石の秋月城、荒城の月の岡城、小村寿太郎の飫肥城、等々数え上げれば切りがない。当方過去これ等のお城の大半は訪問しているが、ここ薩摩の鶴丸城は今回が初めてだ。お堀の石垣しか残っていない名城とは言い難いお城で、魅力の乏しいもので、それでパスしていたのかも知れないが、それでもここは日本100名城に選ばれている。お城の魅力というよりかは、歴史的価値に重みを置かれたことかも知れない。 当方がよくハイキングに行く八王子城址も日本100名城の一つで、時々お城巡りのツアー客に遭遇したりするが、この城も最近では随分と整備が進み見栄えも良くなってきたが、それ以前は原野の中にあるような遺構で、石垣も定かでなく、それでもここが100名城に選ばれた背景には北条小田原城の支城という位置づけと、その険峻な山城にあった。そんな何もない山城でもお城巡りのツアー客は嬉々として記録帳に記念のスタンプを押していた。そんな八王子の山城と比べたら、こちらの鶴丸城址の方がまだマシかも知れないが・・。 元よりここは敵からの防衛上の城ではなく、薩摩のお殿様のお館、御座所に過ぎないのだから、本丸もなければ一の丸、二の丸などもない。鶴丸城という平地があるだけで、今はそこに黎明館という資料館や県立図書館が建っているが、その平地を横切るように照国神社に向かう。敷地内には立派な顔立ちの天璋院の銅像が建っていたが、これは何年か前NHK大河ドラマで放映されて以降にその記念として設置されたもので、それ以前に設置されたものとしては、戦没医学生の銅像もあった。鹿児島は沖縄と違って現実には戦場にはならなかったが、多くの医学生が戦地に駆り出されたのだろう。 お城を出た隣が照国神社の延長のような緑地帯になっていて、そこには明治の元勲、島津久光公と斉彬公二人の銅像が城山を背に高々と建っていた。近代日本を作り上げたという薩摩人の誇りがそこに凝縮されているようだった。西郷の乱は一人私兵の氾濫であり、国政や反体制を揺るがすものではなかった。そんな主張をしているようにも見えた。尤もこの二人は明治が開幕する以前に没してはいたのだが。 その斉彬公を顕彰するために、ここ照国神社が創建された。それは明治御一新以前のことで、幕末当時の薩摩藩の財政力を感じさせるものがあった。この後訪問する予定になっている薩摩集成館を始めとする殖産興業、琉球を通しての裏貿易、等々で富を蓄積し、260年続いた徳川幕藩体制をひっくり返す、大きな原動力になった。その元を作ったというか、集大成をしたというのが斉彬公で、その開明な藩主を祀るに相応しい立派な神社であった。
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鹿児島県の旅行記 旧鶴丸城址の敷地内には戦没医学生の碑もあった。
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鹿児島県の旅行記 お城の並び、照国神社との間の緑地帯には、明治の元勲の...
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鹿児島県の旅行記 後ろの山をバックに島津のお殿様も明治になって名誉軍人...
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鹿児島県の旅行記 ああ、島津久光公だ。斉彬とは確執があったと言われるが...
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鹿児島県の旅行記 島津斉彬公。英明の誉れ高い。
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鹿児島県の旅行記 写真の顔とはちょっと違うようだが、銅像にするとこんな...
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鹿児島県の旅行記 台座には数々の事績が刻されている。
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鹿児島県の旅行記 緑地には古い社なども残っている。
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鹿児島県の旅行記 斉彬公を祀る照国神社だ。
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鹿児島県の旅行記 丸に十の字。薩摩の旗印だ。
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鹿児島県の旅行記 すっきりとした、楚々とした感じの神社だ。
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鹿児島県の旅行記 槙の木の見事な枝ぶり。

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鹿児島県  歴史・文化・芸術 の旅行記


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